復帰廿一日目。勤務時間は甘くない
昨日の産業医面談を受けて、かつて早々に勤務形態をシフトしたためしっかりと読んだことがなかった基本の就業規則を確認してみた。書いてあった、書いてありましたよ。
コアタイムという時間が設定されていて、この間はオフィスにいること。そして7時間と45分掛けることの月間勤務日数を満たすよう、あるいは超勤しあるいは短縮して弾性的に労働時間を調整する、月間フレックスタイム制である、と。
そうか。
ということは満員電車が遅れてヘトヘトに疲れ切ったらちょっと早く帰って翌日に少し多めに働くことで解消するとか、ありなんじゃない?
という希望を持って人事に問い合わせたところ。
『産業医からの意見に基づく健康管理上の措置として、業務の繁閑を作らずに規則正しく勤務することが主旨』
あせらず、いまは決められたとおりに働きましょう、と回答された。
「規則正しく」!
* * *
前々回だったとおもう。
心療内科でも、先生に言われた。
時間が来たら寝る。
決まった時間に起きて仕事し、規則正しく生活すること。
今日の人事からの回答を読んだときも、そして心療内科の先生にこれを言われたときも、カッとなった。規則正しく!
僕は、なぜ、「単調」を連想させることばに、日々の「同じ」繰り返しに、ともすると過剰に攻撃的になってしまうのだろう?
もちろん、朝6時ごろに起きて、遅くとも2時には横になって、満員電車にギチギチに詰めこまれて、パソコンに向かってタスク管理ツールを横目に求められる調査をこなし、あるいは会議に出席し、資料に目を通しコメントして。これが繰り返しでなくて何が? というくらいに折り目正しい繰り返しの日々を送っている。
でも、
そう。
ダメなんだ。
僕は、同じことを、同じ繰り返しを、みんながしているんです、だからあなたもしてください、これが、たまらなく嫌だ。そんな秒針が刻む、正確な繰り返しは息が詰まる。
波乱万丈がいいとは言っていない。大きな視点で一貫した規則はあって欲しい。ただミクロには揺らぎがあってほしい。揺らぎを許してほしい。
これは程度問題で、ひょっとすると誰しもそうで、ただその許容度が人それぞれということなのかもしれない。僕は、多くの人たちより狭量なだけなのかもしれない。程度問題。
あるいは、たんにエキセントリックを演じたいんだろうか?
「わたしを型に嵌めないで!」
でも、型に嵌まった暮らしをつづけているのも、他ならない僕なのに。
* * *
話は全く、唐突に変わる。
北欧はスウェーデン、ストックホルムにオデンプラン駅(おでん計画…… すごく突飛な名前だ。いい……)があって、そこで素敵なインスタレーションがあった、らしい。
いや、これは楽しい!
エスカレーターばかりが使われるところに、健康促進のために何ができるか? というので実験的に階段を鍵盤にしてみたらしい。
ほとんどゼロだった階段利用者が6割に増加したとか。
こういうナッジは、とても素敵だ。
そうおもう。
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