06 子ども社会での保護者、じゃれあいとその境目、よくわからないまま終わりにする

子どものことで最近の悩みを書きはじめてみる。じゃれあい問題と呼んでる。

唐突に自分の過去を振り返ると、二度父親に叩かれた記憶がある。一つは小学校の親子参観かなにかのとき。ホームルームの時間で一番後ろの席にいたぼくは隣の友人とぎゃーぎゃー騒いでいた(のだと思う、実際は覚えてない)。それで静かにしろ!と父に叩かれた(のだと思う)。つまり正確には、「叩かれた記憶はあるから、たぶんぼくが騒いでて静かにしろって言われたんだろうな」と補正している。ぼくは学校でもよく先生に叱られていた。けっこうな人数が同じことをやっても自分だけ叱られがちなタイプで、それがいつも嫌だった。恩師だと思える人がいないから、そんな関係性を羨ましく思う。話を戻すと、もう一つは文脈を全く覚えておらず、家でなんか叩かれていた情景がぼんやりと頭に浮かぶ。

どちらもパコン!くらいだったと思うし、父を暴力的な人間だとは全く思っていない。昭和の真ん中に生まれた父が子どもだった頃はじいちゃんにもっと叩かれていたはずだ。いい悪いというより、そんな時代だったろうと勝手に想像する。聞いたこともないし、比べても仕方ないか。

それでも忘れん坊将軍の自分が、そんな大昔でも覚えているくらいだから、当時は強烈だったのだと思う。きっと父なりの理由があったとて、そんなことはお構いなしに「叩かれた」とだけ記憶に残るから、いろいろ怖いことだと思う。理由も忘れてネガティブな記憶だけ残してしまっていて、父には悪いなとすら思う。

そんなこともあり、何があっても子どもたちに手を挙げる人間になりたくない、とずっと思っている。昭和の末裔として、いやここは時代のせいにしてはいけないから自分の性格として、半分ツッコミとしてのポコンくらいだったらやりかねない。あとなんかすっごい痛いことをされたとき、いやこれめっちゃ痛いから、かるーくしてあげるよ、そしたらわかるよ、と言いたくもなる。

冒頭に戻すと、子ども同士のじゃれあいがある。それをどうするか。痛みをほぼ伴わない程度で、お尻を叩いたり何かをやりあうのは子ども同士の遊びとして存在している。けっこうキャッキャもしてる。楽しそうとはいえ、身体的な接触としてペチンペチンすること自体が今どきはいけないことになっている気もする。度が過ぎればさすがに心配にもなりそうだし。でもどう見てもみんな楽しんでいる、そのときに「いやいや君たち、、」と邪魔をするのはそれはそれでどうなんだろう。

つまり、自分がそこにどう参与すればいいのかがよくわからない。基本的には我関せずを貫いているけど、流れ弾的に何かされたらされるがままにしてる。いたいよ〜〜くらいの反応をする。そこでもっとワーワー反応すれば盛り上がって楽しくなりそうだけど、もっとスンとしてたらつまらない人だという評価になりそうだ。それはそれで悲しくなる気がする。できれば楽しく過ごしたいし、過ごしてほしい。でもそれは盛り上げていいのだろうか?

そもそも自分が不在のとき、子ども同士だったらいいのかもわからない。いいとしたらなぜか、力が拮抗しているからか?みんなが楽しそうだったらいいってことかな、誰かが泣くまでってことか?いいとか悪いとかじゃなく、ただ存在しているような気もする。じゃれあいはOKで、暴力はNGなのか。

話はそれるけど、ふと思いついたこと。昔ねこのきもちみたいな本で、子猫たちはじゃれあいの中で、どこまでやっていいのかお互いに力加減を学ぶみたいな話があった気がする。だからあれはあれで大切です、みたいな。自信のない記憶だからデタラメかもしれない。でもなんかそれっぽい話だなとは思う。人間界に強引に当てはめると、身体的にも心理的にも痛みを知ると他人にも優しくなれるみたいな話だろう。それは本当か?自分が何かを乗り越えたときには、そりゃあそうでしょうって言いそうだけど、きみは経験したことがないからわからないよなんて誰かに言われたら、そうだね、でも人間には想像力があるんだよと思ったりしそうだ。こうなると想像力の話になってくるのか。

ぐるぐると回ってきたけれど、一つはっきりしているのは子ども・誰か・自分という小さな社会ができたときの自分の振る舞いがよくわからないということかもしれない、たぶん。それまでは子どもと自分という一対一の関係性についてだけ考えていて、そういうときには何であれやり返さない、と決めているから悩んではいない。

よくわからないと言いつつ、そうした複数人の場面になったとき、自分はだいたいスッと消えるみたいな意識があると思う。子どもと誰か、にしようとするみたいな。何か言われたら、かる〜く存在感を出すくらいの感じ。正直、自分でもなぜこうしているのか説明できない。そのほうが自分の手を離れて楽になるからっていう側面もあるけど、それが理由というわけではない気がしている。社会に直接触れてほしいみたいな方向性だろうけど、自分は何がしたいんだろう。

あとは、やっぱり子ども同士の身体的接触と暴力の境界線みたいな話もよくわからないと思っている。子ども同士のやりとりに大人が出てくるなんて!のラインはどうすべきなんだろうとか。

こんな風に疑問は尽きないけれど、現実はその場その場で、自分の元気さとかにも左右されるし、雰囲気で対応している。昨日は楽しそうにしてたくせに、今日はなんか説教じみたことを言ってくるぞとか、日々矛盾もあるだろう。なんせほんとうによくわかっていないのだから。みんなどう考えているのでしょう。

結局2,400字も書いたけど、何が言いたいのか何を問いたいのか考えたいのか、はっきりはしていない。けど書いてみてすこし定まった問いもあるから、とりあえずその辺りでなにか本を探してみようと思った。一般的というか、全保護者が悩みそうなテーマだから本はたくさんありそう。だから選ぶのもまた悩みそうだ。子どもの成長に従って、自分の新しい課題がいくらでも出てくる感じがする。一つひとつちゃんと悩んで、自分なりに考えていきたいとは思ってる。

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