11 せんしゃ、のうこうせっしょくしゃ、おばけとか

息子は働く乗りものが好き。今日も松江のはたらくくるま展に行ってきた。先日唐突に、せんしゃってなに?と彼に聞かれた。2年くらい前に、のうこうせっしょくしゃってどんなくるま?と聞かれて以来の衝撃だった。

おお!と思って、どこで聞いたの?と問うと、ううん自分で覚えちゃったのと言われる。このフレーズにそれなりの頻度で出会うけど、誰に言われたでもない、自ら思いついたのだ、みたいな顔で言ってくる。忘れたんだろうと解釈してる。違ったらごめんだけど。

難問だなと少し考えてから、2分くらいの演説をかました。世の中にはいろいろな人がいる、いろいろな考えがある。それは時に相反する。いつも自分の思い通りになるわけではない。意見があわないとき、話し合いで納得できることもある。でも叩いたり蹴ったり痛いことをして相手に自分の言うことを聞かせようとすることもある。そういうときに相手の人、人たちをたくさん傷つける道具がある。そのひとつが戦車である、と。身近な例を出したりしながら、わーわー話した。

20秒くらいで飽きていたはずだけど、一応最後まで聞いてくれて、一言、怖いよと言われた。怖いよねと答えた。

こういう社会のドロっとした話でよかったのかと疑問にも思う。でも遅かれ早かれその意味を知るのだろうから、自分はこう捉えているということは、それはそれとして伝えたい。聞かれたし。親の影響力はそれなりにあるし、自分の思想の偏りも自覚はしてるけど、そんなこと言ってたら何もできないからまぁこんな感じなのかな。子どもは不思議なポイントでいろいろなことをずっと覚えていたりするから、こちらも必死である。自分としてはずっと前に「戦争論」という本を読んで、たしか戦争とは政治目標を達成するための手段という定義があった記憶がある。それを根拠として話したつもりだ。いや〜でも難しい。

これに似た話でお化けやそれに類するアレコレがある。自分は幼少期にお化けとか怖い話でずいぶんビビり散らし、夜のすべてが怖くなった。トイレもお風呂も一人で寝るのも怖かった。怖がる子どもは大人にすれば面白いのかもしれない。思い返せば父はそんな感じだった。それに躾みたいなものにも一定の効果があるかもしれない。早く寝ないとお化けがくるぞ〜みたいな。

霊的なものの存在有無の意見は人それぞれだろうけど、自分は見たことがない派だ。いや正確には一度だけ子どもの頃にそんな記憶があるけれど、あれは不思議体験として処理している。少なくともゾンビや吸血鬼などはいないと言って差し支えない派だ。だから絵本や何かの映像コンテンツでそんなものが出てきたとき、すこし不安そうな子どもを見るにつけ、いや、多分いないから大丈夫だよと言ってしまう。少なくとも自分は見たことないよ、と。

これもいいとか悪いとかよくわからない。想像力の源泉とか、ちょっとしたワクワク?ドキドキ?を失わせているのかもしれない。でもできるだけ嘘をつきたくないし、無駄に怖がらせて面白がる趣味もないし、変な理由で脅して交渉したくもない。いやー、ほんといろいろあるなぁ。

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