16 新しさについて、パン屋ドリアン、エネルギー農業

新しいものはいいもの。そんな話を大学生のときに読んだ。なんだか好きになって、自分もそれでいこうと決めた。よく覚えていないけどニューヨークの文化とかだったかな、ありそうな話だ。


広島から蒜山に移住してきたパン屋ブーランジェリー・ドリアンの田村さんの話をする。子どもたちが同い年で仲が良いので、それにかこつけて家族ぐるみで仲良くしてもらっている。一緒に公園で遊んだり旅行をしたり。それに4歳たちが「ねぇねぇ今日温泉いこうよ」「うん、いいよ」って保育園で話をして、お迎えにいくと今日は温泉に行くよって言われる。あ、そうでしたかって。楽しそうでよかった。

ドリアンさんといえばパン屋の革命家だと言われている。ぼくの好きな広島の農家さんが「ドリアンというのは、あのパン屋のことを言うのではなく、一つのジャンルになっているんだよ。それは焼き物に備前焼とか益子焼とかがあるのと同じで、それくらいレベルの違うことをやっていると思う」と教えてくれた。

たしかに元研修生さんのパン屋も多いし、最近はパン学校としてたくさんの生徒さんにも教えている。それはいわゆるハード系で国産小麦でというだけでなく、働き方に向き合ったり、本場西洋への旅を通してその文化に迫ったり、かと思えばそこから日本のパンとは?そもそも東洋文化とは?と幅広いジャンルを取り上げている。やっぱりすごいんだと思う。

とはいえ、パンの話がしたいわけではない。書きたいのは田村さんが昨年からお米をつくりはじめたこと。移住してきたら家と一緒に田んぼもついてきたらしい。一米農家として、田村さんがどう田んぼに向き合うのか興味があった。

保育園で毎日のように会うけど田んぼのことをよく聞かれた。家にいくと稲作の本がたくさん積まれていた。一応ぼくは米農家なので、これってどうなってるの〜?と聞かれる側なんだけど、その質問は多岐にわたり本当にすごい勉強されてるんだなぁと思った。逆に自分だったらパンについてそんなに聞けることもない。毎月食べてるパンの感想も「いつもおいしいな」という感じ。

そして無事にお米を育てあげ販売していくとなったとき、田村さんは「これはエネルギー農業なんです!」と言い出した。それを初めて読んだとき、ぼくはまじでビビった。あ、あたらしい…!!!と。

田村さんの提唱する「エネルギー農業」を自分なりに解釈するとこんな感じだ。やっていることは機械作業、化学肥料、農薬のいわゆる慣行栽培である。しかし一味違うのは、それが「一の茅」という集落単位でみんなでワイワイやっていること。一の茅は毎月のようにお祭りがあって、いつも草刈りがされて整っていて、米づくりも機械設備を共有して田植えや稲刈りなどを共同でしている。あと山も近くて水もすごくいい。こんな風に地域が元気にワイワイつくったお米にはエネルギーが満ち満ちているんじゃないか、という感じだ。

いやいや、でもそれって普通の慣行栽培じゃないの?というツッコみは安直だと思う。一の茅は中和村に13ある集落でも一際特別だ。先に書いたような集落単位での営みは他にはない。例えばぼくの集落でお米をつくっているのは自分だけだし、草刈りだって一の茅ほどには徹底していない。共同作業でワイワイ!終わったら夜は飲みでワイワイ!もない。個人的には自分が住んでいる集落くらいの落ち着きが好きだからちょうどいいけど。というか、そんな営みを他に聞いたことがない。あるにはあるんだろうけど、そこを意識したこともなかった。


「ここの集落で暮らしていたらそのままお米ができたようだった」と田村さんは言っていた。その感想は米づくりという営みが長いあいだ保持していた本質的な何かをついている気がする。近代化と都市部での労働力確保と、にわとりたまごでどっちが先かは知らないけど、人の手の数ではなく機械や化学の力で農村と田んぼを維持すると決めた現代日本では、そうやって集団として米づくりを続ける力と文化のある集落はとても珍しいんだと思う。昔の本を読むとそんな集団作業の描写は多いんだけど、そっか、それって一の茅みたいな感じだったのかとひどく納得した。


どんな農法を選ぼうとも栽培技術の有無はあって、お米の出来にも影響があると思っている。自分もひとりの技術者として毎年試行錯誤をしているし、これからも長く長く研鑽を積んでいきたい。ただそうした栽培方法や技術論とは別に、そこに住まう集落や人が集まることそのものに意味があるのではないか?という問いは完全に盲点だった。

で、それは結局何なのよ?と聞かれると、もちろんよくわからない。でも何かあるのかもなぁとは本当に思う。そしてそれは栽培方法がどうとか以上に、はるかに希少性の高いものだ。そう、ここまで書いてきてようやく自分でもわかってきたけど、集落単位で米をつくるという営みは、失ったらたぶん二度と取り戻すことはできない。自分のいる集落でもそれは間違いなく再現不可能だ。自分で集落すべての田んぼをきれいにやるとか、そういう次元ではない。個が自由を謳歌している時代であることを考えると、なかば強制的に、でも本人たちはきっとほんとうに楽しく、10軒とかそこらの家が一緒になって田んぼに関わっているというのはすごいことだ。

というか、そもそも田舎には人がいなくなる。地元のおっちゃんたちは、子どもらはここには帰ってこない、自分たちが最後なんだと口を揃えて言う。ちなみに際どいことをサラッと書くけど、個人的にはそれでいいと思っている。いいかわるいか農業は産業化した。先祖代々の土地は意味を失い、米をつくるのは仕事になり、ある種のぼくたちは開放された。自分はよそから越してきてまで米をつくることを選んだし、住人が減ると環境が荒れて直接的に困る。それに農の尊さも強く信じているから、多くの人が関われるならそれは素晴らしいことだと思う。ただそれ以上に、一人ひとりの選択の自由が尊重される社会であってほしい。その上で農業や農が選ばれるものになれるかどうかだ。というか逆にいえば、こんな時代だからこそ自分みたいなよそ者が来る余地があるということでもある。


話を戻す。たしか5、6年くらい前の統計では有機JASのお米の生産量は全体の0.1%とかだったはず(この有機JASも書きたいことはあるけど、その話は今はいい)。そして統計は見たことがないから体感的にだけど、無肥料の自然栽培はもっと少ない。そうした農業や農作物がいいとか悪いではなく、純粋に希少性が高いのは事実だと思う。けれど自分がそうであるように、それは個人の意思で始められる。そして集落みんなで米をつくりつづける難しさを考えると、その希少性は自然栽培よりもずっと高い。そしてそこには、ぼくたちの精神性や文化にも大きな影響があるのだと思う。水稲栽培は日本の文化に強くつながっているけれど、それは米の生産というだけではく、稲作を通して人々がつながり祈り祭ることでもあった。

つまり、もう大半の日本人が失ったものを未だに持ちつづけていた、水稲文化3,000年の最後の末裔になりうる人たちが、その証としてつくっているものがその「一の茅米」なのかもしれないということだ。なんだか仰々しい話になってきた。そもそも田村さんもそう思っているかすら知らないまま勝手に書いているけれど、ぼくが感じたことはそういうことだ。

ちなみに、自分は自然栽培以外の米づくりにも興味がある。好みに偏りはあるだろうけど、自然農の不耕起栽培も、神奈川の小川さんが取り組む多年草化栽培も、はたまた鳥取の徳本さんがやっている水をつかわない(もはや陸稲と呼ぶのかな?)マイコス米も、そもそもの菌根菌資材も。いつも気にしている。自然栽培で稲や田んぼに関わるのはとても楽しいし、果てしなくておもしろい。だからきっとずっと続けるんだと思う。でもそれは他のすべてを否定してるわけではない。今はバラバラに見えている可能性もいつかどこかで繋がるかもしれない。みんなで同じ稲という植物を見ているのだから。


話があっちこっちにいくけれど、とにかく、田んぼを始めて1年でそれを見抜いた田村さんにまじで驚いたし、すごいことを教わったなと思った。ぼくは米をつくっていてたくさん買って応援とかはできないから、自分なりにすごいと思ったことを伝えられたらとこれを書くことにした。気になった人はオンラインストアをぜひ見てみてほしい。
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ちなみにそんな田村さんは少し前にインスタグラムで俳句を書いていた。それまでは長文スタイルだったのに。というか自分から見ればパン屋のドリアンといえばパン業界の大御所というイメージで、そういう人たちってもっとドシッとしているものだと思っていた。でも本当にすごい人はそんな地位は関係なく、どんどん新しくなっていくのかもしれない。この一年間それをタイムリーに見てきて、漫画の週刊連載を楽しむみたいにこれからどうなっていくんだろうとワクワクしていた。それで最後に、本当に聞いたことも考えたこともなかった言葉と概念が飛び出してきたから、どっひゃ〜〜!となった。身近にそんな人がいて、米づくりという同じことをやっているのはとてもおもしろかった。次の一年をどうするのか、もちろん自分にはわかりっこないけれど、どうなったとしてもきっとすごい。

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