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思い出と記憶と記録

こんにちは、まさむーです。

せっかくnoteを始めたのですが、「ある程度の分量を書こう」「内容のあるものにしよう」と考えるとなかなか手が動かないということを今更ながら自覚したので、自分に対するハードルを低くしながら少しずつ続けていこうと思います。

さてそれでは本題。今回は写真を撮っておくと何かを思い出す時にとても助けになるよという話です。

前回、日常を旅行するというテーマでnoteを書きましたが、それに関連する内容になると思います。

人は覚えたものを忘れていくものです。もちろん訓練で記憶力を強化したり生来の記憶力の良さというものはあると思いますが、何もかもを常に自由に思い出すことは難しいです。「昨日の夕食に何食べた?」みたいな質問は端的にそれを表していると思います。

基本的には自身の体験の中でも印象的で日常的に使わないものほど思い出として記憶されやすく、日常的なもの、類似の繰り返されるものや常識は無意識下に常に読み出されるものとして記憶されているのではと思います。自宅の冷蔵庫の場所は思い出さなくても覚えているけど、冷蔵庫の中身は思い出すという一つの工程を経て記憶を読みだす。そしてその中でも食べるのを楽しみにしているケーキは印象的に思い出せるのではないかと思います。

このように、日常において人はものごとを無意識に記憶を読み出したり、意識的に思い出して記憶を読み出したりをしています。意識的に思い出す記憶はつまり一時的に端的に忘れている状態となります。

記憶の一つの形に「思い出」というものがあります。文字通り「思い出」す必要のある記憶で、それは日常的には忘れている状態の記憶とも言えると思います。思い出は思い出として記憶されるわけではなく、連続する記憶の中のある一定の期間やまとまりのことを思い出と読んでいる用に思います。インターネットに例えると、インターネット上には膨大な情報が記憶されていますが、その中の検索結果が思い出で、さらにそれを選択することで詳しい情報を得ることができます。

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思い出すときにはキーワードが必要です。「夏休み」「高校2年」みたいな複数のキーワードを利用します。あのときは海に行ったとか、花火に行ったとか、印象に残っているものほど思い出しやすく、「15年前の8/20のお昼ごはん」というキーワードではよほど印象に残っている他のものごとがなければ思い出しにくいのではないでしょうか。「3日前の15時42分30秒にやっていたこと」なんて言われたら思い出せる自信はありません。

ここで写真の話になるのですが、写真には記憶を思い出すキーワードの塊という側面があると思います。写真に映っているものや撮影日の日付、場合によってはそこに書き添えられた文章などの視覚情報が膨大なキーワードとして働きます。その結果、文字単体のようなシンプルなキーワードでは思い出せないような細かいこと、音や匂いまでも思い出すことができたりします。

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ときには違う記憶が混入することもあります。類似した記憶、例えば夏休みであることは思い出したがそれがいつの夏休みであったかなどは、さらに読み取れる視覚情報を頼りにする必要があります。

人は生活の中でどんどん物事を覚えていき、一時的にもしくは永続的に忘れていきます。忘れたくないものであっても思い出しにくくなったり、忘れていってしまいます。だから、ということではないですが、将来にそれを思い出すきっかけとして、写真を撮っておくというのも良いかもしれません。もちろんそれは日記であったり、歌であったり、絵であったり、自分の好きな形で良いと思います。僕は日常的に写真を撮る人なので、「写真があってるかな」と思う次第です。


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