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「ご感想への返信2023」No.16

多様性を「認める」のではなく「見つめる」というのはとてもハッとさせられることでした。意図せず上から目線になっており、その言い方が普及して多くの人がマイノリティの人々を傷つけてしまう結果になるというのは気をつけるべきですが気づくことができないこともある難しいものであると感じました。FtMとMtFに身体的性別への違和感を感じる時期について、FtMのほうが気づくのが早いのは女子の方が友達同士での恋愛対象が男子の恋愛話や異性との恋愛を主題にした物語などの話をする機会が早くかつ多いためにそうした際に周囲との差異、違和感を感じて早い性自認に繋がるのではないかとあくまで想像の域を出ませんが考えました。

学生の感想から

多様性は「見つめるもの」


 「多様性は見つめるものであって認めるものではない」と言っている人は多く知りません。ほかの誰かから聞いたことはなくて、実際、問題と感じているのは私だけなのかもしれません。これは、皆さんの反応からも多くの人が「聞けばその通りだと感じるような」問題なのかもしれないけれども、例えば今後そこを争点として問題化されるような質のものではないでしょう。「社会」とは分配のシステムです。多くのイシューは分配の範囲を決定する道のりであり、社会の機能としては「同性婚」ひとつとっても「認める」というプロセスが必要になる。個々の要請については「認める/認めない」という決定を待つもの、その連続である、ということです。その視点では、性的少数者についての課題は「認める/認めない」と語られて正しいのです――「同性婚を認める」という言い方は、正しいし、それ以外に言いようがない、とも言える。例えば裁判所が成文化する時などにはね。

 ただし差別問題へのスタンスを育てるときには、「多様性を認めよう」というスローガンはとても邪魔になるものです。あなたは「上から目線」と感じたそうですが、社会の成員を分断して「認める側」と「認めてもらう側」にしてみせ、人間の権利を「都度、そのイシューの多数派によって認めてもらうもの」としていく中で、人々の心に醸成されるものはまさに「上から」また「下から」の目線でしょう。

 それがマジョリティにとってよいことか。また、マイノリティにとってよいことか。――私が考えたのは必ずしも「マイノリティの人々を傷つけてしまう」という点でもなかった。その言い方であればむしろ、特に「マジョリティの心を歪めてしまう」という危機感だった。私が皆さんに講義室で言いたかったのは、「あなたは支配者にならなくてよい」ということだった。父親のような年齢である私が思うことは、「心を守れ」ということだった。

 むしろ単に同性婚法制化を望むゲイという立場であるとき、シス‐ヘテロがどれだけ傲慢になろうと、愚かになろうと、そして別の機会では「認めていただく側」として卑屈な思いにもなり傷ついても、今「同性婚が通るのであれば」私にはメリットがあるかもしれない。わざわざ「多様性を認めるという言い方はおかしい」と言い立てる理由は少ないし、ここは何でも利用して勝ち取りに行くのが正しいのかもしれない。後にどんな焼け野原が残ろうともメリットを採るべきかもしれない。私は50歳で、それほど多くの時間を待てないのだから。しかし私はやはり「支配者にならなくてよい」と皆さんに言わなきゃならない。マジョリティであるとき「傲慢にならなくてよい」「愚かにならなくてよい」、マイノリティであるとき「卑屈にならなくてよい」と、そこは言い続けなければならない。それも私にとっては大切なことなのです。

 誰に何をどこまで分配するかという決定において、社会の成員である皆さんは、時には(国民投票のような場合に)、同じ人間でしかない誰かを「認める/認めない」とすることに参加しなければなりません。しかしあなたは自分の心を傷つけられなくてよいのです。自分を支配者になったように考えなくていい、傲慢にならなくていい、愚かにならなくていい。自分の心を守れますか。守れるように祈っています。


FtMとMtFで性別違和に気づく年齢に「性差」がある

 岡山大の研究で、性別違和に気づく年齢に性差があることが言われています。トランス女性が小学校中学年で違和感を覚えることが多いのに対し、トランス男性は小学校低学年で性別違和を感じ始めている傾向がみられるというのです。トランス男性は生得的な身体的性別特徴としては女性型であり、生育環境としても女児としての取り扱いを整えられているため、その点でシス女性と経験を共有していると考えられます。気づき年齢に差が生じる理由として「女子の方が友達同士での恋愛対象が男子の恋愛話や異性との恋愛を主題にした物語などの話をする機会が早くかつ多いため」と考えることは、無理のない仮定の立て方だと思います。「女の子らしさ」の習熟を求められる機会がどれほど多いか、終わらないか、皆さんは実感してきた。私などよりよほど気づきが多いはずです。経験を生かして下さい。
 男児は男児で(眉をひそめられる一方で)未成熟であり続けるのを喜ばれる/望まれる傾向があります。未完成な時期が長いことをより望まれる。私も(元男児として)MtFについて共通体験を想像することが多いです。シスジェンダーはそのように「あの絶対的な空気」を思い起こすことによって、トランスジェンダーという他者が経験する苦悩と困難を思いみることができるはずだと思います。また、自分もそこにおかれていた。そのことが自分の成長にもたらした影響を、適切な距離感をもって見つめ直すこともできるでしょう。

 いや本当に雪が降りましたね。いつもの嘘だと思っていたのに。皆さんもお気をつけて。


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