放送大学 グローバル経済史('18) メモ5.アジア経済とイギリス産業革命

産業革命といえばイギリスなわけですがアジアや新大陸の影響を忘れがち。

シラバス

放送大学 授業科目案内 グローバル経済史('18)
https://www.ouj.ac.jp/hp/kamoku/H30/kyouyou/C/syakai/1639609.html
グローバル経済史(’18)

5 アジア経済とイギリス産業革命

17-18世紀の世界経済の牽引役は環大西洋と環インド洋貿易である。18世紀後半にイギリスの輸出先としては移住で人口が増加した新大陸が市場となったほか綿花、タバコ、砂糖などが輸入され、産業革命とリンクしている。大西洋貿易のこの頃の貿易港としてブリストル、グラスゴー、ボルドーがある。またロンドンは人口50万人と最大の都市となり、国債発行機関としてイングランド銀行が設立され、金融の中心地となった。

当初、アジア-ヨーロッパ貿易の主目的は香辛料であった。17世紀にイギリスとオランダは香辛料の産地であるモルッカ諸島を含むインドネシアの覇権を争ったが1623年アンボン島での英蘭抗争でオランダが勝利し、バタビアを拠点として香辛料貿易を独占した。また長崎、台南、南インド(プリカット、ナーガバッティナム、マラバル海岸)、ベンガルなどにも商館のネットワークを構築した。敗れたイギリスはインド貿易に転進するが、結果的にはインド綿布は17世紀後半には香辛料を抜いて最大の貿易産品に成長した。この頃フランス、デンマーク、スウェーデンなどが次々と東インド会社を設立する。

インド綿布(キャリコ、キャラコ)は綿100%で薄く柔らかく洗濯しやすく吸水性に優れ、インディゴ(藍)、コチニール(エンジ)などインド地域の天然染料を使った捺染技術とブロックプリントの手法により鮮やかな発色で優れたデザインのものが量産されていた。一方ヨーロッパでは当時の紬車とレバント綿(短繊維)で紡いだ糸は強い力のかかる縦糸に使えず、縦糸は亜麻を使っていたため着心地で劣るほか、技術的に動物性繊維しか鮮やかな発色で染めることができなかった。インド綿布はヨーロッパでは大ブームとなり、地元の繊維産業がダメージを受けたため18世紀前半には輸入禁止令が、イギリスでは着用禁止令が出た。東南アジアでも香辛料貿易で購買力が高まりインド綿布を多数輸入していた。オランダ、イギリス東インド会社の支払いは地金であった。

やがて繊維産業立て直しのためヨーロッパでも代替生産が試みられた。アメリカ産の長繊維綿が導入され綿100%化を達成し、また化学染料(トルコ赤??)による発色の改良がおこなわれた。デザインも改良された。とくにイギリスでは紡績(ジェニー紡績機(Hargreaves)、水力紡績機(Arkwright)、ミュール紡績機(Crompton))、織機(飛び杼(John Kay)、力織機(Cartwright))、動力(蒸気機関(Watt))に技術革新が起き、産業革命につながる。製品価格は1/3程度に下がり1830年代にはついに綿布の輸出と輸入が逆転、東南アジアでも現地向けデザインのものが1830年代には受け入れられ、世界市場を制覇する。

参考文献
ベヴリ・ルミア「インド綿貿易とファッションの形成:1300-1800念」社会経済史学 72-3, 2006

感想

産業革命前にヨーロッパや東南アジアを席巻したインド綿布(calico)は放送大学のヨーロッパの歴史II (植物から見る歴史という変わった授業だった)でもたびたび取り上げられていて、どれだけ人々を魅了したかよくわかります。このころまではインドは製品の輸出国だったんですねー。そして産業革命はインド綿布の輸入代替生産(要は追い付き追い越せ)からスタートしたと。ワットの蒸気機関ばかりが目立ちますが紡績、織機から染料や綿自体、さらにデザイン技術も含めた総合的なものだったということは覚えておきたい。染料の話はえらく詳しかった。ちなみにコチニール色素の原料は虫 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%81%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB%E8%89%B2%E7%B4%A0

ナントの勅令廃止とユグノーの移民の話が先生からぼろっと出てきたが、これは前回でもふれた、カルヴァン派キリスト教徒(プロテスタント)は教義上商工業が盛んで富を蓄えた人が多かった -> 移民で富裕層が抜けて産業がダメージを受けたということかと想像するが特に解説はなかった。

総目次ページ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?