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依存症とセルフケア 前編|週末セルフケア入門

ある日、知人のNさんが『自分の依存症回復の過程が「週末セルフケア入門」の内容にそっくりだった』と教えてくれました。なぜ、依存症回復とセルフケアが似ていたのでしょうか。詳しく話を聴くと「報酬系から距離を取り、自分の中に眼を向ける」という共通点が見えてきました。

Nさんは、社会人になってからギャンブル依存症になったそうです。7年前にギャンブル依存症当事者による回復自助グループ(ギャンブラーズ・アノニマス、以下GA)に参加。5年前には回復のための施設に入り、「12ステップス」と呼ばれるガイドラインに基づいたプログラムを実践しました。いまは日常生活に戻り、ギャンブルをせずに暮らしています。このインタビューは、2020年2月に行いました。

※ 本記事は、あくまで個人の体験についてのインタビューです。依存症に関するお問い合わせやご相談は、全国の専門医療機関・回復施設にお寄せください。
※ 新型コロナウイルスの感染拡大にともない、「オンライン自助グループ」の取り組みも行われています。

仕事のしんどさをギャンブルで取り戻す

――まずはNさんがギャンブル依存症になったきっかけから教えてください。

Nさん:きっかけは大学の寮生活でした。生活の中心に、つねに麻雀があるような環境だったんです。アルバイト等から寮へ帰ると、面子(メンツ)に入らないかと誘われる。男女混合の学生寮でしたが、麻雀をしていたのはほぼ男性でした。

大学生のときはまだ依存症ではありませんでしたが、その経験が、ギャンブルが生活の中へ入るきっかけになったと思います。もうひとつのきっかけは、社会人になってからキャッシングを覚えたことです。そこで、「お金がなかったら借りればいい」という感覚が生まれました。すると、手持ちがなくてもギャンブルをするようになる。いわゆる「しのぐ」生活が始まりました。お金とギャンブルが頭から離れなくなったのは、それからです。

僕はおもに、麻雀とパチスロをしていました。両方とも、運だけでは勝負が決まらず、技術介入があるものです。つまり「自分の力で勝つ」という幻想にハマった。だから、人の勝負の結果に賭ける競馬や競輪にはまったくハマりませんでした。

――どれくらいの頻度でギャンブルに行っていたのでしょうか?

Nさん:週5、6回行っていました。当時は仕事がすごくきつかったのですが、そのしんどさをギャンブルで誤魔化すという繰り返しでした。「給料は我慢代」「これだけ我慢しているんだから、これだけギャンブルをしてもいいだろう」と自分に言い訳をしながら賭けていました。

仕事でマイナスに落ち込んだ気持ちを、ギャンブルで戻す。最初のうちはそれで回っていたものが、そのうちどうやってもマイナスからフラットな状態に戻らなくなってくるんです。振り返れば、そのあたりから依存が始まっていたのかもしれません。

マイナスを「取り戻さないといけない」気持ちが強かったのを覚えています。精神的にも金銭的にも、失ったものを取り返さなくてはいけない。元々は楽しみだったものが、どんどん義務に感じられるようになっていきました。

自助グループとは何か

――自分がギャンブル依存症だと気づいたのはいつでしたか?

Nさん:ギャンブルに気づいた家族に「その考え方はおかしい」と言われたときです。全部話して初めて、もう自分ではどうしようもなくなっていることに気がつきました。思い返せば「誰か止めてくれないかな」と思いながら賭け続けていた。それから、回復のための活動を始めたんです。それも「やめよう」と決断したわけではなく、家族に言われるがままでした。

まずは、精神科に行きました。当然「病的賭博ですね」と言われます。そしてギャンブル依存症当事者による回復自助グループGAに参加したあと、仕事を辞めて、離島の回復施設に一年間入りました。

――自助グループとはどういうものなのでしょうか。

Nさん:アルコール依存症回復のために創設された「アルコホーリクス・アノニマス(AA)」の流れを汲む、登録制の当事者グループです。ギャンブルを止めたい、止め続けたい当事者たちが行うミーティングが大小あって、毎日どこかで開催されています。

アノニマス(無名)の集会ですから、参加は匿名です。みんな、お互いの本名も職業も知りません。活動は、言いたいことと言い合う「言いっ放し、聞きっ放し」が基本です。回復施設も同様です。
当事者同士の集まりには、いまでも定期的に参加しています。同じ悩みを抱えている人が他にもいる安心感があります。

回復のためのコンセプト

Nさん:基本的な回復プログラムの考え方は「12ステップス(12のステップ)」としてまとめられています。

1. 私たちはギャンブルに対して無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。
2. 自分を越えた大きな力が、私たちの考え方や生活を健康的なものに戻してくれると信じるようになった。
3. 私たちの意志と生き方を自分なりに理解したこの力の配慮にゆだねる決心をした。
4. 恐れずに、徹底して、モラルと財務の棚卸しを行ない、それを表に作った。
5. 自分に対し、そしてもう一人の人に対して、自分の過ちの本質をありのままに認めた。
6. こうした性格上の欠点全部を、取り除いてもらう準備がすべて整った。
7. 私たちの短所を取り除いて下さいと、謙虚に(自分の理解している)神に求めた。
8. 私たちが傷つけたすべての人の表を作り、その人たち全員に進んで埋め合わせをしようとする気持ちになった。
9. その人たちやほかの人を傷つけない限り、機会あるたびに、その人たちに直接埋め合わせをした。
10. 自分自身の棚卸しを続け、間違ったときは直ちにそれを認めた。
11. 祈りと黙想を通して、自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた。
12. 私たちのすべてのことにこの原理を実行しようと努力を続け、このメッセージをほかの強迫的ギャンブラーに伝えるように努めた。
「回復のためのプログラム」GA日本インフォメーションセンターHPより。太字筆者。元となったアルコール版はこちら

――「自分の力がおよぶ範囲を見定める」「自分を棚卸しする」など、セルフケアに通ずるものがありますね。

Nさん:そうなんです。コンセプトは「動物的な防衛本能の暴走から自分を守る」というもの。依存症を、生存本能の暴走だと考えるんです。そこで、暴走から自分自身を守るために、日々メンテナンスをしていきます。つまり「12ステップス」とは、自分のことは自分で何とかできるという「自力感」を手放すためのプログラムなんです。

様々な取り組みがありますが、いかに自分の中を知って、それをメンテンナンスしていくかという話に集約されます。それが「週末セルフケア入門」とすごくよく似ています。

――依存症は自分を守る機能が過剰に働くことで生まれている、だからその機能を適切に運用できるよう努める、ということでしょうか。

Nさん:そうです。自分を守る機能を否定せず、受け入れて、そこからどうするのかを考えていきます。僕には「ギャンブルをやっていなければ死んでいた」という感覚があるんですよ。仕事が一番辛かった時期は、ギャンブルがなければ生きていけなかった。そういう意味では、ギャンブルは僕を生かしてくれた存在ではあります。それを言語化すると、「感謝」という言葉がしっくりきます。そう思うことで、ようやくギャンブルに別れを告げられたのかもしれません。

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Nさんの話を聴いて、依存症とセルフケアは似ていると思いました。「自分で自分の苦痛を緩和し、今日を生きしのぐ」点では、どちらも自己治癒なのです。

では、生存本能の暴走による依存症から回復するために、Nさんはどんなことを実践したのでしょうか。

後編では「自分の中を知って、メンテナンスしていく」具体的な方法について書いていきます。

→ 依存症とセルフケア 後編

読んでいただいてありがとうございます。