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ローカル保存と上書き保存

コンサートの開演に遅刻して、入場できなかった。
パリから来日した演奏家による協奏曲が聴けるはずだったのだが。
ほんの五分の遅刻だったが、きっぱりと断られた。
くやしいが、見事な対応だったと思う。

土曜日の午後、新宿から電車で小一時間かかる見知らぬ町で、暇になった。
喫茶店で一服した後、駅ビルの中に書店を見つけた。

「まさか」と思うほどのすばらしい棚づくりがそこにあった。
定番はおさえながら「これが面白いんだよ」と主張する、いい感じに偏った棚挿し。
玄人をにらみながら、ライトな読者を突き放さない、バランスの取れた平台。
よく知っている本の隣に、見たこともない、だが明らかに名著と分かる本が面陳されている。
本と本の関係が立体的で、文脈に奥行きがあるから、ひと目で把握しきれない。
並びにタカをくくれないから、おのずと滞在時間が長くなる。
平積みされた本の高さにも意味があった。

驚くほど質の高い文化が、ローカルに保存されていることがある。
同期に時間がかかる場所では、悪い影響が届くのも遅くなるからだ。
だが、アップデートされているべきものが、いまだにローカル保存されていることもある。
ローカルの長所と短所は表裏一体だ。

よく行く都心の書店には、採れたての野菜のように新鮮な本がふんだんに並べられている。本や情報が早く大量に届くからだ。
客数も多く、売れるものと売れないものがすぐに分かるため、置いてあるものがどんどん変わっていく。いわば上書き保存である。

高速で上書き保存が繰り返されるうちに、まったく新しい文化が突然あらわれる。
大衆の欲望が表現されたかのような、異形のベストセラーが出現したかと思うと、古典中の古典が眠りから覚めたように動き出すこともある。
まるでライフゲーム、生命現象だ。
つぎにどんなものが召喚されるのか、おそらく誰にもわからない。

ひとつの書店の中でも、ローカル保存と上書き保存の働きは併存している。
風土の違いによって、ローカル保存と上書き保存のバランスが変わってくるのだと思う。

別の仕方で保存するだけで、文化は別のものになる。
遅刻した客を入れると、変奏曲の全体が損なわれてしまうように。


テーマ:「時」(888字)

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