パン屋で

久しぶりに来たパン屋さんで何となく家族が食べそうなものと自分が食べたいものをミックスさせて買う。
4つともそれが長細くハード系のいかにも持ち運びやすいサイズ感だったことに苦笑する。
私の脳みそはとても単純なので、その時に気になったものばかりたくさん買う。途中までその傾向にいつも気がつかなくて、気が済むまで買うしかできないのか。。と半ば自分の性格を諦めているけれど、今日、途中でそれに気がついた。「うわぁ、またゾーンに入った。苦笑」こんな感じだ。

いつもならここに自分は食べないが喜ばれたくて買う食パンをつけるが今日はやめておいた。

そして、いつも袋はいらないと言ってなんでもかんでも馬鹿でかいカバンに入れることにも少しうんざりしていたので、手持ち用の袋も購入した。ピチッと崩れずに持ち運びができて嬉しい。自分にもこう言う嬉しさを持っているのだと思った昼下がりだった。

どうにも、体裁を気にしすぎる人間だと、自分でもよく感じている。そうでも無いようにしているのは、「そうでも無いようにやるべきだ!」という自分の戦略であって、あくまでも本質は気にしすぎる性格なんだと思う。

気にしすぎる性格が故に、不都合がよく起こる。
すでに述べた通り、自分で整理が苦手なのにエコバックの推進には賛成というか使命感があるので、パンやおにぎりをぶちゅぶちゅにしてしまったり、飲み物の汗で本をふやかしたりしてしまう。
この解決方法は、入れやすいカバンに変えるか、買ったものだけを入れるエコバックを用意すればいいのだが、私の脳内はとてもアホなので、それをとても複雑にしようとする。

気にしすぎる頭の中は色々な可能性で張り巡らされている。
その視点は悪く無いはずだ、むしろ行き当たりばったりよりも冷静に分析ができる利点もある。
だが気にしすぎる人つまり私はその判断が遅い、鈍いこと、、。
分析には長けているが、判断が少し遅いから、結局思ったようにはいかず、いろいろ後悔することもあるんじゃないだろうか。私はそれでしかない。
大体程度は違えど、人生選択や判断の日々だから仕方ないことかもしれないけど…。

でも後悔するとからだに悪いから、後悔しない!と意地を張ることも多い。そうするとめちゃくちゃ気持ちと行動がチグハグしてきてたまらない感覚になる。あげくこの判断が最上、と錯覚させようとすることもザラにある。かわいそうな私の脳みそ。
これ伝えたいけど、表現しようがないな。。

だらだら書いたが要するに、エコに反してたった2円の袋をもらう決断や、食パンを買わなかった決断の一つひとつを、噛み締めたいのだ。
よし!自分の葛藤に勝って、勝手なことしちゃったぞ!でもこのおかげで快適にパンを運んでいるんだ。
そんなめちゃ低レベルなプチ幸福を味わっている。

ありがとうございます!!グッズたくさんつくります!