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不規則軌道の行方 羽生結弦のGLAMOROUS SKY

 ファンタジー・オン・アイス2023神戸大楽をライブビューイングで拝見した。オオトリで登場した羽生結弦の演目は映画『NANA』の主題歌「GLAMOROUS SKY」。中島美嘉が歌う。映画は台湾や香港でも公開され大ヒットしたと聞くが、見ていない私がイメージするのは矢沢あいの原作漫画の方。女王様のように誇り高く、未熟で不器用で、トゲだらけの水晶みたいにキラキラしたゴスパンクバンドの歌姫ナナと親友ハチ、そしてナナとその恋人がそれぞれ所属する2つのバンドの魅力的な星々が入り乱れる物語だ。

 真紅のナポレオンジャケットを肩にかけ、ジッパーから肌がのぞくエナメルパンツに身を固めた羽生からは危うさと激しさが火花みたいにピシピシと放たれてナナっぽい。
 目深な帽子に隠されて、見えるのは綺麗な唇だけ。重そうな軍帽が長い首と細い顎を一段と華奢に見せ、ちょっと70年代のイタリア映画「愛の嵐」のシャーロット・ランプリングを思わせる。(画像や詳しい説明はちょっとはばかられるので興味のある方は検索してください)

 「開け放した窓に…」
始まりは中島美嘉の消え入りそうに細い歌声。微かに身を震わせ首をかしげる羽生。
思い切りためを効かせ、力を込めた次のフレーズ「仰いで…」が世界を一瞬で目覚めさせる。
スイッチが入ったように宙を仰ぎ、天を指す羽生。くるりと返した指先が残像を残すほど白い。
 一転した華やかなリズム。羽生は振り払うように回転し、ジャケットの袖をなびかせて滑り出す。帽子を投げ捨て、左へ、右へとターン。ジャケットを脱ぎ、一瞬捧げ持ってそっと氷上に置いてゆく。
 手放したジャケットの周りをくるくると舞い滑る羽生。
 曲線的なトレースを曳き、もがくように加速する様はファンタジー・オン・アイス2023前半・幕張、宮城の「if…」で見せた鋭角的なステップとはまったく違う世界だ。

 追っているのか、追われているのか、燃え尽きる前にどこかへたどり着こうとするような狂おしい滑り。数えきれないトリプルジャンプやツイズルやスピンを散りばめた疾走は、まるで熱い恒星の引力に囚われ、熔かされながら不規則軌道を描く彗星のよう。
 最期はリンクをいっぱいに使ったハイドロブレーディング。少しずつ径を狭めながら長い長い軌跡で螺旋を描き、脱ぎ捨てたジャケットの元へと辿り着く。掬い挙げたジャケットを抱きしめ、肩にかけ、天を仰いで暗転。

 再びライトが照らし出したのは慟哭するように突っ伏した羽生。ハードな曲を滑り切った疲労か、長いツアーを完遂した安堵だろうか。
 2019年のトリノ・グランプリファイナルを彷彿とさせるようなすべてを出し切った姿だった。

 ようやく立ち上がったる羽生は観客とアーティストに流れるような礼をして「if…」ではジャケットを脱ぎながら走り込んだステージバックへ、今日は真紅のジャケットを羽織りながら消えていった。

 「GLAMOROUS SKY」はアーティストの他にも存在感を放つ共演者がいた。最初にリンク上に脱ぎ捨てられたナポレオンジャケット。まるで能「葵上あおいのうえ」の紅い小袖のように舞台中央で主張し続けた。「葵上」については以前に「時空を超えて惑わすものたち・羽生結弦の世界選手権2021」で触れた。源氏物語に題材を取ったこの能の主役はタイトルロールの葵上ではなく、光源氏の年上の恋人・六条御息所だ。光の若い正妻、左大臣家の息女である葵上に嫉妬し、生霊となって枕辺に現れて憑り殺そうとする。病床に伏せる葵上は生身の人間が演ずるのではなく、舞台に置かれた一領の紅い小袖で表される。この小袖を境に妄執の鬼となった六条御息所と僧侶が対峙し、攻防が繰り広げられる。
 六条御息所は前皇太子の未亡人という高貴な身分の、教養と美貌でも名高い女性だ。しかし光は他にも愛人が何人もいる上に権力者の娘である若い葵上を正妻に迎えてしまう。年上の自分はじきに捨てられてしまうかもしれない。捨てられなくても若い女の後塵を拝するのはプライドが許さない。それならいっそ自分の方から別れようと思っても、深みにはまり過ぎた六条御息所は光への執着が断ち切れない。その果てにあさましい生霊となって彷徨い出て、葵上に憑りつき苦しめる。
 能舞台に置かれた紅い小袖は現と妖の境界であり、同時に恋=執着とプライドの象徴でもある。

 『NANA』のストーリーも恋とプライドの鬩ぎ合いから始まる。ビッグなバンドにスカウトされて東京に出ていく恋人にナナがついていかなかったのは、歌手として対等以上でありたいというプライドから。どうしようもなく惹かれ合う相手であっても縋りつくことは歌手としての誇りが許さない。絶対に音楽で成功し、同じ高さで恋人の視界に入りたい。恋とプライド、それは1000年の時を経ても、心に刺さる普遍のテーマであるようだ。

 別に葵上に想を得たわけではないと思うけれど、象徴的な紅い衣装を中心に展開する舞台づくりには、森羅万象に人格や意志を感じ、象徴的に捉える日本的なセンスが影響しているかもしれないと感じて面白かった。

「夢見る憧憬」「いつか終わる夢」の白いマントも「マスカレード」の手袋も、羽生の手にかかると命を吹き込まれたように雄弁に語りだす。そういえばマスコットやぬいぐるみ、花束さえも羽生に持たせると不思議とイキイキして見えたりする。役者をやるつもりはない、とどこかで言っていたようだけれど、羽生結弦は役者以上にドラマチックだ。

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