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私がnoteを書くきっかけになった話

こんにちは!遠藤です
最近とても感動したことがあったので、noteに書き記すことにしました

私はチョークアートを生業にしていますが、それはまァ紆余曲折あってのことなので、おいおい書くとして

今日が最初で最後の記事になる可能性もあるけど、

自分がnoteを書こうと思ったきっかけだけは書き残そうと思う次第であります





ひょんなことから青い小窓という企画を知った

https://note.com/tennmonn/m/m15d374a83b29


頑張りたい人を後押しする
そう聞いて、

私も手伝いたい!!直感的に閃いた

毎日読んでいて楽しいし、飽きない
しかもこれを100本書く?! すごい!

人やサービスに感嘆する時は、大抵自分もやりたいんだと思う

少なくとも私はそういうふうにできている

ようし、私も1本書くことならできるかもしれないぞ

いつだって情熱を感じればすぐ行動だ

そこは年を重ねる毎に磨きをかけたいし、誰かに情熱のタスキをつなげられるかもしれない

ありがたいことに青い小窓のロゴを描かせてもらっているのだが、 

人の心象風景を描くことがこんなにおもしろいとは思わなかった

なぜなら私が普段描くのは、人の顔や動物、食べ物、風景など、いつも何かしらモチーフが決まっているからだ

綿あめを食べて描いているような感覚が新鮮で楽しい

普段使わない画材を引っ張り出して紙と向き合う

制作過程を見返すと自分の精神状態もわかる

新たな発見だ

こうなったらウザがられるくらいしつこく描いていこうと思う

そして私が最も衝撃を受けたのがこの記事


これを読んだ後、ますます「note書いてみたい欲」にかられる私がいた

失恋で死にたくなったことはあるけど、これはきっとその類のものでなくて、根本的な何か


奇跡の毎日を、わからなくしているのはなんだろう

これはごめんなさいなのだけど、私はたまに電車の中でスマホを見つめている人の群れがゾンビに見えて

怖くて寝たふりをする

生気を感じないというか

楽しそうに見ている人も稀にいるが、ほとんどの人は、みな虚ろな目をしている

戦後何もない時代から、令和になる過程で何もかも手に入る時代になった 

とくに情報に関しては誰でもカンタンに入手できる

だがそれで人の心まで豊かになったのだろうか

真っ暗闇の世の中を、何の灯りも持たずに歩いていくのは誰だってつらい

無明の世界だ

道を踏み外し、もう二度と戻ってこられなくなる人もいる


ただ、どんなに暗い部屋でも、電気をつければたちまち明るくなる

人には、今日を生き抜く希望が必要だ

どんなに時代が変わっても、それは心の灯台になる

それは違うよ、と言う人がいても構わない

真理は変わらないからだ


私は昨年夏、熱中症になって大げさじゃなく死にかけた
1日中横になっていると気持ちまで滅入ってしまう

もうダメかもと弱気になっていた時

哲学者カントの幼少時代のエピソードを思い出した

1人の医者の言葉によって、病弱なカント少年はのちに偉大な哲学者となる

そのエピソードを思いだした時、私は確かに明日への希望を感じていた

胸のあたりがポワっと温かくなって

すこし泣いて

死んでたまるかと奮起し、這いつくばってOS-1を飲み込んだ

人は何がきっかけで立ち直るかわからない

いろいろなジャンルがあるけど、
心の灯台になるものは、必ず明るい

明るいって、軽やかだ

人の心、軽くして

背中押してくれるもの

と私は思っている

カントのエピソードが時代を超えて私を励ましてくれたように、

青い小窓は、どこかの誰かを幸せにする

というかこの企画を知った私がすでに幸せになっている

だって、まだ見ぬ誰かの笑顔を思うだけで元気が出てくるんだもの

それはきっと、未来を感じるからだと思う

明るく楽しい世界
応援したり、されたり、協力し合える世界
共鳴したみんなが仲間

私はそういう場所の住人として生きていたい


「あの人っていつもお気楽でいいよね」と勘違いされるくらい、

私の人生そのもので

今を、そして笑顔の未来を表現し続けるんだ


華林山 慈恩寺境内

























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