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○○町の○子さんにはもうなれない。

会話の中で、ふと
「故郷と言える場所がないな」
と思った。

小さいころから、引っ越しは多いほうだった。
生まれた場所は大阪、そのあと新潟→東京→神奈川と移動している。
新潟では県内でも一度、神奈川では二度引っ越した。
本籍地は結婚するまでは奈良県だった。

6年過ごした大阪の街は好きだ。聞き慣れた大阪の言葉は今でもほんの少し、私の中に残っている。だからと言って、故郷か、帰りたいかと言えば、そうでもない。いい思い出がないのだ。
当時は父の借金のせいで取り立てのおじさんたちが来て怖い思いをしたし、新潟では父の不倫相手が同居していたし、東京では父と祖母の暴力がひどくなって泣き声と怒鳴り声ばかりだったし、「家」にはいい思い出がほぼない……と、つくづく父がロクでもなくてため息が出る。
では神奈川はどうかと言うと、大人になってから過ごした場所なので、故郷とはちと違う。

……。

そう考えると小学校~大学一年まで過ごした東京が故郷に近いのかもしれない。近くには玉川上水が流れていて、夏場に上水沿いの道を歩くと、木々の木漏れ日があまりに美しくて、何か特別なことが起こるのではないかと期待したりもした。

とは言え、今行ってみても懐かしさがこみ上げてくるわけでもない。
見たことがある場所、というだけだ。懐かしさは一体どこから生まれてくるのだろう。

帰りたい、と思える場所がある人は羨ましい。
けれど、もういっそ、ずっと「どこ」の「誰」になれなくてもいいのかもしれない。そのほうがどんなところへだって行ける。自由だ。
帰る場所は死ぬ間際にできていればいい。
終わるときに「あそこが私の帰りたい場所だ」と言えるところができれば、きっとその人生は楽しいものだったと思えるはず。
そう信じたい私はまだ道半ば。

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