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幸せな記憶(わたしの覚書)

思い出したこと

わたしは岩手県の江刺市の生まれ

もちろんど田舎。


その土地は、農業にて栄え
空気も水も美味しく、
伝統的な技術に囲まれ、
美味しい食材が育つ街だった。

例えば、
金札米
私の舌には永遠に染みつく美味しい味。
美味しい米が育つための土や空気、水があるからだと、今はわかる。

例えば、
南部鉄器
その急須で、母が沸かす柔らかなお湯に
私は育てられた。
当たり前に生活の中にあったけど、
今東京で一人暮らししていると
美味しいお湯だったと気付く。

小さい頃から
地域の行事に参加し
氏神様がいる神社に良く出入りしていた。
神様に見守られていた。

地域の人たちは
暖かく私たち子供を見守ってくれていた。
いつでも、安心して登下校できたし
いろんな行事にも楽しく参加できた。


両親や家族以外にも
友達にも恵まれて
わたしは幸せな子供として
そこで育った。

小さな村のような街の中に
老舗の料亭や
美味しいラーメン屋
定食屋さんに囲まれて
当たり前のように育った。

わたしはとても幸せだった。



今日ね、仕事で嫌なことを言われたの。

この部署に異動して、約8ヶ月が経った。

最初はきつかった。

覚えられない仕事に苛立たれ、

罵詈雑言を言われた。

辛かった。

でも、今日、どーでもいいと思った。

だって、わたしの感性は美しいし、

わたしのありたい姿に近づいてると感じているから。

わたし、良く頑張っているし

良くやっていると思うのです。

自分のことくらい、自分で認めないでどーすんだ。

って、突然思えたのよね。


「あー、わたしって、しあわせだったし、いまもしあわせじゃん。

間違ってないじゃん」って。


それを、今思い出し、泣いた。
わたしは、自ら
「あそこに生まれたい」
と選んで両親の元に生まれたのだと思う。
その土地に、生まれたのだと思う。

そして、生きたいように生きて、今ここにいるのよ。

全部自分で選んだのだなーと。心から思ったんだー。


ありがとう。
わたしに関わってくれた全ての人たち。
心から感謝します。

幸せな人生だなぁ。


これからもよろしく頼むよ。

友よ。

選んだ家族たちよ。


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