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先生、小野妹子は一人で中国に行ったんですか? 1

小学生の素直な質問。なんでも聞いていいよと言ったからには答える必要がある。小野妹子は当時の代表でね、たくさんの人と一緒に昔の中国へ船で出かけたんだよ、と言いながらネットで検索して追加の情報を一緒に調べていく。R君は社会が得意だ。得意というよりも、興味がかなりあると言った方がいい。彼は将来高校生になるまでに興味を失わなければ歴史学者になるかもしれない。聞いてくる質問は歴史に関するものが多い。ブラジル移民の中で仙台の七夕まつりが開催されるのはなぜか、とかいう中学受験の問題をわからないからと質問してくるのだけど、答えを説明するのだってめちゃくちゃ面白い。聞かれなければ調べない。聞いてくれるから仕事になる、という感覚。

そもそも社会科なんて面白くないわけがない。一般常識満載のこの教科、わたしは小学生の時嫌いだった。社会のテストのために畑と田んぼの違いを暗記したり、田んぼでどのように米が作られるか、その順番を覚えたりした。めちゃくちゃつまらない暗記科目、ぐらいにしか思っていなかった。

田んぼと畑を分けるのは日本語だからで、英語圏では区別しない。それは文化的な背景によるものだけど、そんなこと答えてくれる大人は私の周りにはいなかった。算数は一人で深掘りできても社会科は無理だった。子供の頃、東京で育った私は田んぼなんて見たことなかった。そのまま都内に住み続ければなんの疑問もなく中学生になり、高校生になっていたかもしれない。小学生の時、6年生の修学旅行で行く日光をめちゃくちゃ楽しみにしていたのに4月にあっさりと転校することになった。名古屋へ。日光へももう行けない。それだけが心残りだった。

鶏の形をした世田谷区から名古屋へ引っ越して1番記憶に残っているのは人はアホだということだ。アホというより、多くの人は地元に愛着があるということを理解したといったほうがいい。名古屋は東京と大阪に次ぐ第3の都市でその地理的重要性から学会の開催場所や打ち合わせ場所によく設定される。関東と関西の間にあり経済規模も大きい。でも日本第2の都市ではない。クラスメートたちは完全に勘違いしており名古屋は大阪より大きいと言って譲らなかった。どうでもいいから議論したりしなかったけどデータを見れば明らかだ。

名古屋は東京より北にある仙台などとは結構雰囲気の違う街だと知るのはずっと後のこと。引っ越した名古屋市北区は名古屋城の北にあり、地下鉄が通る便利な街だった。地下鉄の吹き出し口の上に立ち、電車が通るたびに妹とワンピースを膨らませて遊んだ。小学生の頃地下鉄の自動改札機を初めて見たのもこの街だった。沿線の都内の私鉄にまだ導入されていなかった不思議な形の機械を見て、住む場所が変わるとこんなに街は違うんだと感心した記憶がある。そして新幹線の駅までのアクセスが1時間以内と格段に良く、東京と比べてコンパクトな街になっていることも面白かった。小学校6年生というティーネイジャー手前の年齢はこういった環境変化にギリギリ対応できる、絶妙な年齢だったと思う。中学生になると転校するのはなかなか難しいし、高校生ならもう大人だ。

名古屋の小学校でたまたま担任の先生が社会科専門だった。小野妹子なんて暗記で名前しか覚えていない。テストで書ければ点数がもらえるから嫌いな科目でそれ以上のことはやらないのが私のやり方だった。社会科は記憶力を鍛えるためにある。小6になるともう田んぼの問題をテストで見かけることもなかったけど、変化球ばかり飛んでくる社会科を好きになることはなかった。高校生になり、社会は日本史と世界史、倫理、政治経済に別れた。別々に学ぶと日本史以外は面白かった。理系クラスでも社会を選択する必要があったので世界史を選び、唯一の娯楽番組としての世界史の授業を週に5時間楽しんでいた。高校3年生の時の授業は毎日歴史ドラマを見ているようだった。担当の先生は予備校の人気講師でもあり、書籍も出版していた。彼の配る授業用のプリントはそれぞれの時代の流れと人物、そして全てを詰め込んだ大河ドラマの解説本のようだった。音声を録音して後から聴いたりもした。面白すぎて授業中聞いているだけでテスト前に勉強する必要がなかった。プリントを1〜2時間で見直したら90点くらい取れた。理想的な授業といえる。

続く

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