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抜けるような青空〜秋はまだそこにいた

雲ひとつない晴天が昨日から続いている。いよいよ失業給付が終わり、収入がないので働き始めた2日目。今日は夕方から塾でバイトする。個人指導の学習塾で1〜3人に対して教えるらしい。5時からだからあと少ししたら家を出る。車で30分の距離だ。17キロあるからまあまあ遠いのだけど、まあ、行ってみよう。すでに嫌になっているけどどうだかね〜。働くのは週に3日くらいにしておこう。お金なんて有り余っていた過去の生活。忙しくなると3食外食だったし、物の値段をあまり見て買ったことがない。それはさすがに言い過ぎか。チラッと見て買うが正確な表現かな。毎日違う場所へ働きに行くのは奇妙な体験だ。落ち着いたオフィスが好きだし、サンサンと太陽の降り注ぐ明るいサンテラスのような光の空間がいつもそばにあった。好きな時間に好きなことをして、完全に、いや95%くらい自分のペースで過ごす。誰かに合わせるなんてできなくはないけど考えたことあまりなかった。多分自然に人に合わせてしまうから無意識のうちに自分のペースを保とうとしていたのだと思う。昨日とは変わって学習塾へ行くのでブラウスとパンツ、そしてブーツを履いていく。このシャツ着るの何年ぶりだろう。最後にアイロンをかけてクローゼットにかけられたピンクとブルーのシャツはスーツの下に着るにはかたすぎてほとんど着ていなかった。

塾で働くのは焼き芋を裏返してた昨日とはちょっと違うけどどちらもサービス業だ。お客さん相手の仕事。珍しく家のソファでこの原稿を書いている。昨日から大好きな電車には乗っておらず、ベランダから高架を走る車両を眺めている。市役所の向こうに駅から発車した銀色に輝く6両編成の車両が見える。電車通勤がしたいんじゃない?多分そうだ。大学でフルタイムで教えたいという欲求があることに気がついたのは5年ほど前のことだった。当時私は都内のヨガスタジオへ通っており、毎回同じメンバーが集うシリーズクラスに通っていた。心のヨガというアーサナとヨガ哲学のミックスしたような内容だった。そこで仲良くなったメンバーと時々食事したし、時にはメンバーの家へ行き食卓を囲んだ。そのホスト役の女性が大学の講師をしていた。いや教授だったかな。長い間雑誌の編集者をしていた彼女は私より15歳ほど年上で、都心に住むとても素敵な女性。彼女の夫も同じような職についており、新宿の夜景の見える素敵なマンションの別の部屋を購入し別々に仕事部屋にしているようなオシャレな方だった。得意料理はクスクスと鳥の煮込み料理。今思うとあれはモロッコ料理だったのではないだろうか?

京都の芸術系大学で教えていると聞いた時、反射的になんで?と思った。彼女が学位を持っていないからだ。もちろん実務を通じた豊富な経験は博士課程なんかに進むのとは違う学識の高さがある。それはわかる。でもなんで学位もないのに?と思ってものすごい違和感を感じた。

そのモヤモヤの正体がしばらくわからなかった。自分のやりたいことがもうわからなくなり出口のない袋小路に入り込んで何年も経っていた。

おっと、4時だからそろそろ出なきゃ。
運転始めると西の空にちょうど黄金色の太陽が空に溶けていた。1番西の空が美しい時間帯、この文章を書き始めたときには青空だったのにもうそんな薄い滑らかなシルクの空が広がっていて電車が弧を描いてその輝く空の方へ向かっていった。

気がつくと雲が広がっており、秋の空の最後の抵抗のように、夕陽が赤く沈んでいくのが見えた。スパイ映画のように瞬きしたらシャッターが切れるといいのに。この美しい景色を切り取りたい。そんなときなぜか昔の記憶を泥団子状に丸めて薬包紙のような紙で包んでひとつひとつ木の箱に入れるイメージが浮かんだ。木の箱というよりは昔の薬局の棚のようなイメージ。どこかで見たことのある黄色い木の棚だった。昔記憶力が良すぎて一回聴いたことは無意識に覚えていたことがある。小学生の頃、あるとき理科の時間に早退するかなんだかして授業を休んだことがあった。しばらくしてテストがあり、習ったことのない問題が出た。知らないから空白にしてそこの点数が欠けていた。いつものように家にテストを持ち帰り、母に見せた。ここなんで間違ってるの?そこは休んで習ってないところだよ。先生に聞けば休んだところだってわかるから。謎にすごいと思うけど、この記憶力どこへ行ったんだろうか。

後半に続く

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