暴露で私を傷つける話。

大学の部活の夏合宿最終日。
せっかく一目惚れした新しいふぁんふるのTシャツをはじめて着ているのに。
深夜の暴露話でやらかした失態のせいで気分が晴れない。

深夜の暴露話といえば、もちろん恋愛と決まっている。前にTwitterで(一瞬だけ)呟いた元彼との共依存のことを訊かれたので答えた。
そのあと、[私]は相手に酷いこと言えるくらいの関係性が楽なんでしょ、と言われた。
その時に何と返したのかは忘れてしまったけれど、それがいやに頭に残ってもやもやしている。

暴露と卑下・自虐は同じものではないことに、ついさっき気がついた。
私にとっての暴露とは、他人によってされるもので、私はそれに左右される周囲の一瞬の評価に傷ついたことがあった。
それは、たとえば中学時代の不登校の話だったり、自傷とそれに関する噂だったり、異性との恋愛関係であったりした。
メンヘラクソビッチが高校時代に私に下された評価だった。実際は経験すらなかったけど。初めは本当に心が、血が出るみたいに痛かった。次第にそれに迎合しはじめた。
迎合が進むと、今度は自ら搾取する側へネタを提供しはじめる。私も、彼らに「いじられる」ための、彼らの喜びそうな話をいくつもした。

今思えば、迎合とは搾取のショックを和らげるための自己防衛だったのだと思う。自分から進んで傷つきにいっているという思い込みに書き換えて、私は平気なふりをした。
元々勝気な性格ではあったけれど、この頃から同時にかなり黒に近いキツイ言い返しを相手に(とくに異性に)するようになった。やらないとやられる、と思っていた。今も思っている。私が言われるのは、私が弱いからで、だったら強い証拠を見せなくちゃいけなかった。

迎合としての暴露は、自傷に似ている。自分の自分あるいは周囲の中での立ち位置を確認して、思い上がることがないようにわざわざ自分を傷つける。傷つかないと、痛みがないと、自分の輪郭がわからない。

これは、私の書く小説の内容にも関係するけれど、相手がドン引きするような自分の秘密や趣味嗜好の話をして、相手が受け入れられずに引いてしまう様子を見たいと思う。拒絶や拒否(キモい、理解できない)が自分のされて然るべき対応だと信じている。
ところが困ったことに、私は同時に受容と承認も求めている。自分が思い上がることによってあとで傷つかないように、先に傷つけられてしまいたい。けれどやっぱり認めて欲しい。わがまま。

何でも話せばいいわけじゃない。秘密がないことが美徳なわけでもない。綺麗でいなきゃいけないわけじゃない。私が暴露=自虐をしているとき、私は私を傷つけている。

自分を傷つけたいけど、でもやっぱり、話して傷つきたくないから、結局黙っているのがいちばん得策なのかな。溜め込みすぎて膨張して破裂すればいいんだ、うんうん。我慢が足りない。

とりあえず、まわりが安心して聞ける、独りよがりじゃない暴露をほどほどにできるようにします。多分。頑張る。

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