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宙ぶらりんは難しい【12月23日】


MONOSASHIの話

僕は、MONOSASHIっていうオウンドメディアをやっています。

友達が、自分と誰かを比較するために存在するのが物差しだけど、そうじゃなくて自分が大切にしたいもの"そういう軸"としてモノサシを考えたいって。

すげー素敵やなと。最近新しい記事が出まして、2年前に出会った友達にインタビューに行きました。

その記事が好きすぎて、何が好きなんだろうと考えていて、ちょっとだけわかった気がするので、そんなことを言葉に残しておきます。

決断ってどういうことだろう。

よく僕たちは決めるって言葉を使います。
当たり前すぎる言葉なんだけど、決めるってなんだろう。

多分、決断と近い。
そしてとある人が決断をこうやって解釈してた。

自分を過去や、周りから切り離して、全く新しい自分になろうという宣言である。要するに連続性への否定である。

とある人

と。確かに決断は魅力的な言葉だけど、逆に決断してしまったら、そう簡単には曲げられない。簡単に曲げるなら、決断でも、決めるでもないんだろう。

ある意味で、自分で自分に縛りをつけるような感覚かもしれない。立ち止まったり、戻ったりはなかなかやりにくくなる気がする。
もちろん、これは悪いことじゃない。そうしなくちゃいけない瞬間もある。

覚悟ってなんだろう。

それと対比する言葉が覚悟だ。
同じ人の解釈ではこんな感じ。

一方で、覚悟とはこれまでの過去や関係性を全て受け入れる。弱さも醜さも全部受け入れること。だから、連続性の肯定である。

確かに、覚悟するって、デメリットとか失敗とかいわゆる「弱さ」に向き合うという宣言であるような気がする。

それに対して決断するって、メリットとか成功とかいわゆる「強さ」を信じるという宣言であるような気がする。

だからどっちが大切とかいう話ではなく、どっちも大事。

でも思うのは、決めることよりも、決めないという状態を肯定することのほうが難しいんじゃないかってこと。

決めたら、迷わずに突き進めばいい。
でも決めないという状態を肯定するって、迷ったり、立ち止まったり、それを受け入れるということであり、"わからない状態"にあえて身を置くということなんだと思う。

でもだからこそ、
自分の中から湧き上がる違和感とか、
心が熱くなる感覚とかを拾い上げられる。

決めたら、
そんなのに気づけないし、
気づいたところで迷ってる場合じゃないと思ってしまう。

だから、決めることとおんなじくらい、宙ぶらりんな状態="わからない状態に身を置く"ってことはすごく大事だし、もしかしたらそっちの方が辛くて苦しくて、難しかったりするのかもしれない。

あなたにとって、決めるってどういうことですか。
決断と覚悟は違うと思いますか。
宙ぶらりんの状態を受け入れられますか。

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