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第四者という存在【12月2日】

世の中には第三者という言葉がある。

第三者」は、自分を含めた当事者以外の人間をいう。 その事柄に関係していないので、公平な立場で物事の判断ができる人という意味合いを含めて使うことが多い。

google辞書から引用

第三者ってこういう人のことを指すらしい。
でも僕の感覚的には、第三者はその物事に直接関わらない人たちの総称で、学校で何か問題があれば、家族は第三者になったりするんじゃないかなと思う。
だから、事柄に関係していないとはいいつつ、"自分"との関係性がある人が前提になっているような気がする。だから、良くも悪くも"公平な立場"でいられるかどうかは怪しいんじゃないかなと思っている。

とある学校で講演をさせてもらった時に、第四者というキーワードを一緒に講演していた友達が話していた。
すでにこの世の中にある言葉なのかもしれないけど、僕はこの考え方がしっくりきたので、今日はその存在について残しておきたい。

第四者って何か。

簡単に言ってしまえば、全くの赤の他人ということかなと思う。その友達は、自分のことを全く知らない人で「初めまして!」から始まって、限られた情報の中で、言葉をかけてくれる存在のことらしい。限られた情報の中でかけられる言葉なのに、その言葉に救われる瞬間が意外とあるんじゃないかって。

友達の言葉

第四者という存在で何よりも大事なのは、直接的な利害関係がないということ。こう聞くと無責任に聞こえてしまうかもしれないけど、直接的な関わりがあれば、どうしてもその利害関係から抜け出すことは難しかったりするんじゃないかなって思う。
その人にどう思われるかなとか、その後の人間関係どうなるかなとか、こういう声かけをした方が相手のためになるんじゃないかなみたいな。どうしても自分のエゴから抜け出すことはできない気がする。

そういう意味で第四者は特別だと思う。自分がどう思われるかとか、その後に何が起きるのかみたいなことを気にせず、ただ純粋に伝えたいと思うことをその人に届けることができる。自分のエゴみたいなところからもう少しだけ抜け出して、本当の意味で相手を想うことができるんじゃないかなと。
でも考えなくちゃいけないのは、発した言葉はどうしても無責任なものになってしまうということ。だから最終的にはその人自身が決めることで、全部を受け入れる必要も、正解だと盲信する必要もない。そのスタンスはめっちゃ大事だなっておもう。

振り返ってみると、そういう第四者からの言葉に救われた瞬間がたくさんある。何も知らない赤の他人が、なんでここまで自分のために言葉を尽くしてくれるんだろうって、今でもその「なんで?」は解消されていない。でもなんとなく、そういう関係性から生まれる言葉に救われたことがある人は、全く知らない赤の他人にも、そういうスタンスで言葉をかけられたりするんじゃないかなと思います。

第四者。まだまだ入り口だけど、もう少し考え続けてみたい存在です。
あなたには第四者がいますか。どんな第四者になりたいですか。第四者の言葉が誰かを救う瞬間があると思いますか。

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