見出し画像

豆腐にまみれて


もう十四年ほど前になります。ヨーリーの誕生日を祝いに師匠と東京に行くこととなり、なにか手土産を、とスーパーに立ち寄り買い求めたのが三時の便で届いたばかりの真地豆腐のアチコーコーゆし豆腐でした。
あったかのまま手荷物で持ち込み、密輸して空港まで迎えに来てくれたあなたに渡したときの大爆笑して喜んでくれた姿が忘れられません。
まさかあの時にプレゼントした真地豆腐を、あなたが探し回ることになるとはその当時の俺は夢にも思いませんでした。そして、繁多川や真地に死ぬほどあった個人営業の小規模豆腐店がどんどん無くなっていくなんて露ほどにも考えていませんでした。


繁多川とは、書いて字の如く水の豊富な地域で、昔は水田もあったほどだと聞いております。焼酎を作る酒蔵や豆腐の製造が昔から盛んだったと繁多川町誌には記されています。
俺らが小学校の頃、授業中や休み時間に学校の外からチリンチリンと振り鈴を鳴らす音が聞こえることがありました。それは給食に出てきそうな巨大な食缶を二つ天秤棒にぶら下げた地元の豆腐屋の売り子さんでした。
振り鈴の音色が止むと、それはお客が豆腐を買い求めている合図で、買い物が終わるとまた振り鈴の音色が聞こえて来る、という実にのどかな情景が繰り広げられていて、俺たちはその振り鈴の音色を聞きながら腹を空かせていたことを思い出しました。


そして、その繁多川の隣にある真地も多分に漏れず豆腐製造が盛んで、実家から歩いて二分くらいの場所に小さな豆腐屋がありました。
そこは、住宅地のど真ん中にあり、豆腐を作るセメント作りの小屋と、その横に住居がありました。一階部分は豆腐製造をしている老夫婦が住み、二階には俺の同級生とその両親が住んでいました。
土曜日の半ドンの授業を終えて昼過ぎに帰宅する途中に、豆腐屋の老人が作り終えた豆腐を軽ワゴンに積み込み、出荷先に届けに行く光景をよく見かけたことを思い出します。
ヨーリーが繁多川で廃業したことを知り落胆した瑞慶覧豆腐は、俺の近所の豆腐屋の系列店のような店で、兄弟で繁多川と真地に工場を構えていたそうです。真地にあった豆腐工場も二十年以上前に営業をやめていて、最後の瑞慶覧豆腐は繁多川の地で細々と営業を続けていたようですが、その豆腐を食べることはもう叶いません。


こうした地元に沢山の小規模な豆腐工場があったことが贅沢であったことを思い知ったのは、二ヶ月ほど長崎で生活した時に痛感しました。豆腐はあっても柔らかい豆腐しかなく、どんなに重しをかけて水抜きしてもチャンプルーにすると崩れてしまう。もちろんゆし豆腐なんか望めるわけもありません。
二か月の長崎生活を終え、沖縄に帰りゆし豆腐を食べた時には思わず涙が出ました。たった二ヶ月ですが、島豆腐と離れて過ごすことが耐え難い苦痛だったことに、自分でも驚いたものです。

豆腐を作り終えた鍋を洗わせてもらう俺。作り立ての豆腐を食べさせていただく俺。石嶺の豆腐は豆と水とニガリの織りなす魔法のような味だった。


ヨーリーと宮古の石嶺豆腐訪ねた時に、その佇まいが近所の豆腐屋にあまりに似ていて、懐かしくてたまりませんでした。コンクリの床。タイル張りの豆腐がぷかぷか浮かんだ桶。豆腐を固めるための大量の木枠。そして、竈門と大鍋です。
豆腐を作り終えた後の鍋を洗わせてもらい、へばり付いた豆腐のかけらをこそぎ落としながら、今まさに豆乳が煮詰められていた鍋に触れることができる嬉しさで心躍ったのを思い出します。その後に鍋洗いに気合いが入り過ぎ、鍋を持ち上げようとして竈門の一部を破損したことは忘れようと努力してますが忘れられません。
そして、散々とお手伝いという名のお邪魔をしたのに食べさせていただいた石嶺豆腐の味は、格別でした。前日、石嶺豆腐を使っている割烹で食べていて、その味を知っているにも関わらず、朝の作り立ての豆腐には魔法がかかっているかのような味わいで驚きました。
これぞアチコーコーのなせる技なのでしょう。ゆし豆腐も、湯葉も、そして豆腐も。そもそも、出来立ての早朝に豆腐屋の店先で出荷前の豆腐を食べる、ということ自体初めてでした。

しかし、こうして振り返るだけで豆腐にまつわることがゴロゴロ転がってるもんで、沖縄県民それぞれに豆腐にまつわる様々な思い出があると思います。

余談になりますが、十七年ほど前にリハビリの専門学校に通っていた頃に「生涯健康のために何をすべきか」的な授業中にあの天秤棒で食缶を担いで周る売り子さんが紹介されて驚いたのを覚えています。その時で七十代ですから、その年齢でまだ巨大な食缶を担ぎ繁多川や識名あたりを練り歩いていたわけです。
アチコーコー豆腐は姿を消してしまいましたが、豆腐に対する熱い思いだけは爺になっても天秤棒を担ぎ続けたあの豆腐屋さんのようにアチコーコーであり続けたいと思っております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?