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島豆腐と面倒なあれこれ




真喜屋さん、ご無沙汰しております。豆腐、特に島豆腐についての雑記に返信していただき嬉しく思っております。
日本本土において豆腐とは水に浮かぶ頼りない存在である、ということは揺るがし難い事実で、沖縄の硬い豆腐こそがどうかしているのであります。

そこには、湿度や温度の関係で水分をなるべく取り除き長期保存を試みた、という先人の知恵があると思います。これはおれの家の個人的な話ではありますが、清明祭の時の重箱で食当たりをして男が全員死亡し、久米村から婿を迎えて家を存続させた、という歴史があるんですが、おそらくは肉類ではなく豆腐が原因ではなかったかと疑っております。
そういう気候風土の問題もあり、固い豆腐が根付き、ゆらゆら水の中で浮かぶ優雅さと無縁の豆腐が生まれるのはいたしかたないことなのではないか、とおもっております。
いわば、我が家のトラウマですね。


で、トラウマついでに俺と豆腐にまつわるトラウマについて話をします。それはジーマミー豆腐です。

あれは水につけた落花生を豆乳化させ、火で煮詰めながらかきまわして作ります。このかきまわす作業が骨が折れる。というか腕がもげるくらいの労を要します。
我が家では親父が豆乳を作るまでして、混ぜる作業は子供たちにさせていたのですが、長男次男はいつのまにか逃げ、三男の俺だけがいつも両手をパンパンになるまで木ベラで鍋を掻き回すハメになっておりました。
それでいて、出来上がりの頃は姿が見えなくなった長男次男が姿を現し「やっぱりうめーよなー」とか言って豆腐を食うわけですよ。
こちとら腕が上がらなくて箸も持てず豆腐なんか口にできないのに。


とまぁ、そういう経験があるので、豆腐といぅのが作るのは面倒で、食べるのは容易いことを身をもって理解しているのです。だから、他人の作った豆腐の有難さは格別なのであります。
オヤジはミキサーで豆乳をつくってましたが、あれも昔は石臼回して轢いていたわけで、下手すりやその仕事までやらされていた可能性があることを考えると、そんな力仕事をせずに豆腐を食える有り難みはひとしおなのです。


まぁ、そういうトラウマがあるからこそ、豆腐への愛情もまた深まっているという、愛憎にまみれた偏愛のようなものが豆腐に対してあるわけで、作る側へのリスペクトのようなものですね。

そういう意味で最近、仕事で知り合ったオバチャンが豆腐屋さんで、ビニールパック問題について「ここ三年くらい食品衛生法が変わると言われ続けてたからねー」と、いわゆる[時代の流れに逆らえない”的な感想を漏らしておりました。
そのオバチャンいわく「おからも産業廃棄物で廃棄している」そうで、食品として流通させるのはえらく手間やコストがかかるようです。

そこで思いついたのがオカラから“ソイプロテイン”いわゆる大豆タンパク質を抽出できれば無駄も省けて商品にもなるし、良いことづくめじゃねーか!?と思ったんですが、そういう加工費用が手間だったりするわけですよ。何せ日本では牛乳からもプロテインが生産されていないわけで、そのノウハウ自体が存在しないわけであります。
せめてプロテインバーとかに乾燥オカラ使用したりは出来るんじゃねーか?とか、そういう妄想を膨らませている今日この頃であります。

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