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#30年後あったらいいな

枕元の時刻は08:00を指した。

今日はどんな1日になるだろうか?と、私は暖かな光が差し込むベッドの上で考えた。

大きな窓から海が見える小さな家に引っ越したのは去年のこと。

引っ越した、というのは少し正確ではない。

シェアカルチャーが発展して、人類は世界に存在する、ありとあらゆる住まいで、自由に生活することが可能となった。

ヨーロッパの古城にも住んでみたし、遊牧民のグルにも住んだことがある。

世界でベーシックインカムが採用されたのは20年ほど前、当時の人類は住まいと食料の費用は世界もち!と小躍りしたものだが、現在に至っては、食べ物も全て工場で作られ、無料で配布されるようになった。

私より若い世代は、費用と、それに対する労働という概念を、歴史の授業で学ぶ。

友人が今夜地球の裏側でささやかなホームパーティを開くらしい。ホログラムとして、出席することも可能だが、地球を1時間で一周できる乗り物で、私本人が肉体と共に登場するのもよいサプライズとなるだろう。

浜辺で海鳥とアザラシがノンビリと過ごしている。自然災害はなくなり、動物が人間を襲うこともなくなった。人間が動物を捕らえることもなくなった。

ペットという所有概念も無くなった。

妻はもう起きていて、朝のコーヒーの準備をしていた。彼女と出会ってもう15年、世界が全人類のDNAを採取し、そして当時流行したSNSという代物を使って個人的嗜好を分析した。その結果、生物学的にも、人間学的にも、世界で一番マッチしたのが彼女だ。

同様の手段で選ばれた私の夫は、今夜のホームパーティに自分の肉体を移動させる場合のために、着ていく服を選んでいた。

30年前はブランド同士の競争が激しく、沢山の衣服が作られ廃棄となったが、今は世界でブランドと呼べるものはひとつ、そこから選択、製造、着用、返品、再生され、資源の無駄はない。

ちなみに、妻や夫という呼称は古風だ。性別が廃止されて久しい。

朝食の後は、世界中に散らばる私たち3人を掛け合わせた子どもたちと交流する。

「昨日はどういった1日だった?」

子どもたちの体験を、目を閉じれば私たちが疑似体験できるのがうれしい。

午後には、3人で語らい、詩を書いたり、音楽を作ったり、思い思いに過ごす。私は3年ほど取り組んでる一つの絵を今日こそ完成させるつもりだ。

外を見ると雨が降りはじめていた。そうか、今日は雨の日だ。

雨の日の夕暮れには飛行スーツを身につけ、上空に舞い上がり、雲の海に沈む太陽を見るのが楽しみだ。

時間はいくらあっても足りないが、時間はいくらでもある。

完璧な秩序と調和。

理想の世界だ。

***

光が遮断された真っ暗な空間で、私は目を開けた。

体温と同じ温度、血液と同じ濃度の生理食塩水に私は浮かんでいる。

重力は感じない。どこまでが自分の身体かも分からないし、まだあるのかも分からない。

人類と世界は溶け合い、一つになった。

遥か遠く、もしくはすぐ目の前に、

小さく08:01という数字が赤く光っている。

今日はどんな1日にしようか?

と私は少し考え、目を閉じた。

時間はいくらあっても足りないが、時間はいくらでもある。

完璧な秩序と調和。

理想の世界だ。


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