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韓国で感じたこと 優しいお兄さんと、政治デモと。

東南アジアやヨーロッパの国々はたくさん回ってきた自分なのですが、いまだに韓国という隣国を旅行したことがなく、先週初めて旅行する機会を得ました。

そして、そこで感じたことは、人の優しさと、集団の怖さ、という対極的な2つの感情です。

どういうことかちょこっとだけ書いておきます。

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正直、韓国を旅行する前の自分は、少し不安な気持ちを感じていました。

それは反日などの感情がまだあるのではないか、日本人は冷たくされるのではないか、という不安です。

もちろん、そのような運動が盛り上がっていた時期は結構前だし、多くの韓国の方が日本人に対して優しく接してくれる、ということも知っています。

しかし、実際に行ってみるまではやっぱり何か不安な気持ちがあり、大丈夫なのかな〜と感じるところが少なからずあったのです。


しかし、そのような不安は杞憂に終わりました。

最初に行った甘川文化村では、ハングルで書かれた注意書きが読めない自分たちに、韓国の女の子が優しく意味を教えてくれたし(しかも日本語で!)、釜山大学近くや海雲台にあるどのお店に入っても、店員のお兄さんやお姉さん優しくメニューを紹介してたくさんのサービスをしてくれたのです。

素直に、本当にありがたいし、いい国だな、って思いました。

英語や日本語を話せない店員さんが、なんとかして自分たちに言葉の意味を伝えてくれようとしているのを見たら、渡航前に感じていた不安なんてフッと忘れてしまうくらい心が温かくなったのです


でも、僕は、韓国でちょっと違った一面も体験することになりました。

それは、南浦の繁華街で買い物をしていた時に、とある政治集団(NPO?詳しくは分からなかった)の集会に出くわしたことです。

ハングルが全く分からない僕たちは、テントに掲げられた韓国とアメリカの国旗と、「China Out!」という横断幕以外は、演説台に立つ人が何を喋り、それを聞く大勢の人が何に呼応しているのか全く分かりません。

おそらく、親米的な集団がアメリカと韓国の連帯を説き、その他の国(特に中国?)を排斥すべきだと訴えていたのだと思います。(詳しくは分からなかったです...)

しかし、これを見て僕は、瞬間的にものすごく恐怖を感じました。

何を言っているのか分からないからこそ、今にも彼ら大勢に指をさされて糾弾されるのではないか、という不安がゾワーっと湧き上がり、誰とも目を合わせずに気付かれることなくその場を立ち去りたい、という気持ちしか芽生えませんでした。

もちろん、そのようなことは決して起こらなかったのですが、もしあの場を中国人観光客が通りかかっていたらどうなるのか、もしあれが反日デモだったらどうなっていたのか、と考えると、やはり得体の知れない恐怖を感じてしまいます。

怖がり過ぎで、ビビリな僕だからこその感想なのかもしれないのですが、多くの人が自分の分からないことを怒りながら訴えているという状況、そしてそこを何も分からない観光客が通りかかるということは予想以上に自分にとっては恐怖を感じる経験だったのです。

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ものすごく優しかった店員のお兄さん、お姉さん。

そして、理解することができなかったけど恐怖を感じた政治デモ。

この2つを体感して僕が思ったことは、大小はあれど、誰しも心の中に優しさと暴力性を兼ね備えているんだ、ということです。

そしてその暴力性は、自分の味方が多ければ多いほど、自分に正当性があると信じれば信じるほど、強くなるような気がします。

日本のSNSやマスメディアから発信される、不祥事に対する過剰なバッシングも、それを感じさせるシーンの1つではないでしょうか。

自分が≪論理・正当性・多数派・大義名分≫といった武装をもって暴力性を振りかざしていないか、しっかりと自問自答したいな、と思います。

そして、難しくはあれど、色々な立場にある人の思いや考えを出来るだけ慮れる人でありたいなと再認識しました。

旅行は、自分を無理やりマイノリティーの立場に追いやることのできる、いい経験だと思います。

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