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「寛容のスパイラル」を起こすことで、人は生きやすくなる、と思った話。

過去のnoteやTwitterでも少し発信していたのですが、先週まで僕は、日本の大学生が海外で2週間のビジネスインターンを行うというプログラムのコーディネーター(お手伝い兼学生メンターみたいなもの)をベトナムのホイアン🇻🇳でやらせてもらっていました。

本当にたくさんの経験をして、様々な感情・学びを得ることが出来たのですが、今回はその中の1つ、「自分をさらけ出すこと」について少し書いておきたいと思います。

「思ったことを書こう!」と思ったら、いつものnoteと少し違った口調になってしまったのですが、自分のあり方について悩んでいたり、もがいたりしている人に、少しでも読んでほしいなと思って、そのまま載せてみます。
うざがらずに、読んでやってください。

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"素直" "ありのまま"でいられないという悩み。


プログラム中の2週間、僕は、たくさんの人の悩みや弱い部分、人に言えない部分や、自分の変えたい部分を聞き、その葛藤や変化を目の当たりにしてきました。

その中でも、特にたくさんの人が吐き出してくれたのが、

「自分の気持ちを素直に伝えることが出来ない。」
「自分の考えや意見を伝えることに抵抗がある。」
「ありのままの自分を出すことが出来ない。」

という思い。

例えば、チームメンバーに対して思うことがあっても、
「相手を傷つけてしまうのではないか。」
「お互いでぶつかってしまうのではないか。」

と思って言い出せない人。

一見明るく、上手く人間関係を築けているようで、
「傷つかないためにキャラを作っている」という人。

やりたいことや自分の思いはあるんだけれど、
「相手にどう思われるか分からない。」
「周りの反応が怖い。どうなるか分からない。」

という理由で言い出せない・行動できない人。

それぞれ、何かしらの過去の経験や失敗・成功があって、それぞれの悩みを持っているんだろうなぁ、と思います。

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そんな人に対して、プログラム中の僕は、「一歩踏み出してみよう。」とか「勇気を出して言ってみよう。」というようなことを伝えてました。

でも何を隠そう、そんな僕も、そういった気持ちが痛いほど分かるんです。

「思ったことをそのまま言ったら、相手に嫌われてしまうかもしれない。」
「素直な自分の気持ちを言っても、相手が受け入れてくれるか分からない。」

立場上、プログラム中はいろんなことを言ったけれども、
「本当に自分もその勇気を出せているのかなぁ。」
と考えてしまうことは何回もありました。


なんでありのままでいられないのか。


じゃあ、なんでそういう風に考えてしまうのか。

思ったことを言えばいい。
キャラなんて作らずに、ありのままの自分でいればいい。

口で言うのはいとも簡単なのに、多くの人がそれに悩んでしまうのはなんでなのか。

色々考えて思ったことは、
「この世界はあまりにもトゲトゲしすぎていて、何かしらの武装をしていないと生きていけないんじゃないか。」
ということです。

何か自分の思いを発信したら、いちいち周りからの反応が来る。

それはいかにも「助言」「忠告」という顔をしていて、一見救いの手のように見えるけれども、いざ手に取ってみると実は先の鋭い針で、僕たちを容赦なく傷つけてくるかもしれない。
自分のしたいような振る舞いをしたら、「協調性が〜」「チームワークが〜」と言われて、丸め込まれてしまう

世間で考えられている「型」からはみ出した部分は、周りからの容赦ない攻撃を受けて、いつの間にか無くなっていたり、あっても自分の心の奥深い壁の中にあったりして、自分でも分からなくなっているかもしれない。

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そんなトゲトゲした、容赦ない道を10年、20年も歩いていれば、いつの間にか自分の心は大層な武装をしていて、本当に根っこの芯の部分は、人からもよく見えないし、自分でもよく分かんなくなっちゃってるんじゃないかなぁと。

なんにせよ、”社会”とも言えるような、周りの人たちの容赦の無さが、知らず知らずのうちに、みんなにそれぞれの武装をさせてしまって、いろんな人を苦しめているんじゃないかな。と、思ったのです。

(その武装が、心の遮断っていう人もいると思うし、逆に無理したキャラ作りっていう人もいると思う。)


誰がその辛さを作っているのか。


でも、そこでふと立ち止まって考えてみる。

「社会」って誰なのか。
「周りの人」って誰なのか。

それらを構成しているのは、一人一人の人間であり、その中に紛れもない「じぶん」という存在がいる。

そんな自分が、色んな装備をつけて、バッチバチに武装をしている。
周りに目をやり、絶えず気を張っている。

容赦ない社会・容赦ない他者を作り出してるのは、紛れもなく、自分の「容赦の無さ」なんじゃないかってふと気づくんです。

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それぞれが、
それぞれの武装をして、
絶えず気を張り、
監視しあっている社会。

そんな社会だからこそ、自分の思っていることを素直に言うことには抵抗があるし、ありのままの自分なんかを見せたら、自分が傷つくんじゃないかっていう不安があるのです。


じゃあどうしたらいいか。 -プログラム中に学んだこと-


そんな時、大切だなと思ったこと。

それは、少し怖いかもしれないけど、ちょっと勇気がいるかもしれないけど、出来る範囲で「自分の武装」を外してみる、ということです。

周りの人たちに、「自分は怖くありませんよ。」っていうことを伝える。

あなたの考え・行動に対して、「私は攻撃しませんよ。」ってことを伝える。

もちろん、目に見えないところから流れ弾が飛んできて、傷つくこともあるかもしれない。

でも、自分の身の回りにいるだいたいの人は、そんな「武装解除」を見て、自分も心をふっと緩めてくれる。心を開いてくれる。

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そんな人間模様を、今回のプログラムを通して学ばせてもらったな、と思います。


自分が武装をやめて、少し柔らかくなる。そうすると、周りも柔らかくなる。
その繰り返しで、場に「寛容さ」が生まれて、自分の素直な気持ち・ありのままを発信できるようになる。

人間にはこうした「温かさ」があって、どんな人もそれによって段々と自分を出せるようになる =「寛容のスパイラル」が起こるということを、僕はプログラム中に身をもって教えてもらったのです。


これまでの自分、これからの自分。


これまで僕は、多少なりともいくつかの武装をして、いろんなコミュニティで活動し、生活をしてきました。

もちろん、時間が経つにつれてそれが全く無くなっていると感じるコミュニティもありますし、最近では昔より武装をせずに過ごせているんじゃないかなぁっていう自覚もあります。

でも、今回僕は改めて、「人の優しさ」「"寛容"のスパイラル」というものを見て、たくさんのものを学びました。

だからこそ、これから待っている新しいコミュニティやたくさんの場に対して僕は、自分の装備をふっと緩めて、ちょっと隙だらけで入っていきたいなと思います。

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まずは何から、外していこう。


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