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植物とのひとこま(21.6.15)

気圧の変化が体調に影響するたちである。

大気の状態は数日不安定なようで、そのせいか肩も張るし目の奥も痛む。

元より左右の視力差で目は疲れやすいし、こんな時は調べ物やらと共にスマートフォンも脇に置いといて。

冬ならすっかり暮れていたなと思いながら、矮小ベランダの者共の様子でも眺めることにするのであった。



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(そういや、今年セージの花を見てへんな...)

と改めて思った。

サルビア・メリフェラは確か去年春に咲いた記憶があるが、今年は一体どうしたのだろうか。

何だか中途半端な時期に剪定してしまった気もするし、しかし切ったとしても部分的だったはずである。



まぁ、いい。

とにかく今年は咲いていないのだ。

セージにも事情があろう、と適当な事を思いつつ、密かに激しく花待ちをしているクリーピングタイムを眺める。



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去年、つぼみが着いたのは丁度今頃だったと記憶している。

楽しみにしていた開花だが、急な事情で他県の妹宅に発った吾輩はその花を目にする事は無かった。

しかし事情というものは人間にとって仕方なくとも、植物にとっては全く「仕方なくない」わけだ。

ここ数年、人間の急な事情により植物たちに迷惑をかけてしまった事が二度もあり、思い出すと胸が痛むのであった。


生き物相手だということ。

これは人によっては噛み合わない価値観だと思うが、共に暮らす命ある植物は、僕の中でペットや子供となんら変わりはない。

なんなら逆に、喧しい子供の方が苦手なくらいだ。

何故なら、自分が全く大人になった気がしないからなのであるが...。



まぁ、そんな事もあったなと思いながら眺めると...。

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花の知らせが届いていた。

(おおっ、つぼみが!!)

と、小躍りしたくなる。

我ながら単純な奴だなと思う。



この時点でセージの花の事は既に頭に無いのだが、

(うちのモナルダはまだかいな?)

と'ディディマ・ホワイト'のてっぺんを覗き込む。

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なんという喜ばしい日であろうか。

そして吾輩はなんと単純なのであろうか。



喜ばしいと言えば、実生グアバが近頃伸びてきた気がする。

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やはり南の国の植物にとって、暑さや湿度が心地よいのだろう。


余談だが、このグアバは一度他界されたはずなのだ。

しかし何事もなかったかのように蘇り今に至るのである。


そんなグアバ、木質化した部分と若い赤みのある部分が、くっきりと節で分かれているのを見て、一つ新しい発見をした気分になった。

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吾輩がそのように驚いたり喜んだりしている...そんな夕べのベランダの出入口で、セリの葉が室内を窺っていた。

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この葉だが、日に日に部屋の方に向かって伸びて来ていたのだ。

室内に向かって伸びてどうするつもりなのだろうか。

ま、セージ同様セリにも事情があるのやも知れぬ。


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そしてセリが窺う室内では、室内組の大将であるセロームがどっしりしているのであるが。

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ふとセロームさんの若葉を見ると、静かにグッテーションを起こしていた。


つい先日、

(思えばこの一年くらい、グッテーション起こしてない気がするな~)

と、思っていたところだったのだ。


一寸、水を控えてやらねばならぬ。

葉先に光る雫を指先にとり、それを自分の胸元で拭っておいた。



色んな妖精のフィギュアが入った箱をひっくり返したような、そんなせせらぎのようなざわめきを感じる。

ベランダと、室内の窓際から。



ざわざわ。

さわさわ。

そしてこちらも目配せで応える。


何だか冗談のような、そんな吾輩の植物との暮らしなのである。

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