NEW GUNてどんな感じ?〜vol.37〜

社会生活を送っている限り、出来れば役に立ちたいし、迷惑をかけたくない。私の所属する飲食と云う仕事はいつも人がいないし、仕事はパンパンだ。

「抗がん剤が終わったらもっと働けます」
「ハーセプチンが終わったらもっと働けます」

それはもしかすると自分の希望だったのかもしれないけれど、以前の様に働こうとは思っていなくても、もう少し役に立つ自分になるのではないかと模索していたと思う。

抗がん剤が終わって3ヶ月くらいすれば大分抜けると聞いていたのだけれど、ハーセプチンが辛いのか、ホルモン療法が辛いのか、はたまたリンパ浮腫が辛いのか分からない。いやいや、抗がん剤で体力が落ちたんだから、働きながら体力を取り戻そう。

抗がん剤が終わったら運動をしようとか思っていたのだけれど、とてもそんな元気はなかった。

【手術前月からの労働時間の推移】

抗がん剤が明けてから、早朝からのモーニングの仕事だけでなく、昼前から夕方までのランチからティータイムの時間も働くようになった。これはシフト次第。いつでも早朝勤務に合わせて生活するはずもなく、生活のリズムが狂い出した。夕方まで働くと家に帰ってくるのが19時くらい。そこから夕飯の支度をしたりする。旦那が仕事で遅くなるから夕飯はいらない、と言ってくれてもじゃあ先にさっさと寝ましょうとはならず、早朝勤務だと寝不足になるようになってきた。

とにかく家が職場から遠いのがいけない。

そして、誰よりも自分が自分に対して出来る人であることを求める。
もちろん病気の前のように働けないのは分かっている。
物理的に出来ないことも増えた。
それでも、”出来る範囲のことなら出来る”と勘違いしてしまうのだ。

時間が不規則になって辛い。
休み休みならば大丈夫なのだけれど…。
出来るけどその速度だと息が上がってしまう。
本当はやらないほうがいいけど言っていられない。

当時はこの辛さは何の副作用かと真剣に考えていた。ググりまくっていた。
でも、何よりやらなくてはいけないことは、自分の今の状況をありのまま受け入れて、生活をカスタマイズすることだった。

もちろん鍛えたり、リハビリしたりすることは必要なのだけれど、それは全体的に無理することとは違う。無理をすることで体が追いつくほど健康ではないのだ。

それに気付くのはずっと後で(上の画像参照)本当に働けなくなってからなのだけれど、その話はまたいつか。



この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

1

RYORI_BANCHO

乳がんについて話してみた

2014年9月に左胸の全摘手術をしました。日々の記録だと読むのが大変なので、ポイントポイントで記事を書いています。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。