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ワーママ8年目。こんなに働くと思ってなかった8年間を振り返る。

いつの間にかワーママ8年目に到達しました!
何とかワーママとして生き延びてきた過去を振り返ってみたいと思います。

ワーママ1年目(2016年秋〜)
長男が冬生まれだったため、1歳クラスでの保育園入園は絶望的かつ0歳の春で預ける場合も3〜4ヶ月で預けることも悩ましく、秋入園枠があるらしいと聞いたマンモス園に希望を出し、0歳10ヶ月の秋に保育園に預けることに。
保育園に預けて仕事に復帰するという目標を達したものの、秋冬の保育園の病気流行はすさまじく、半年間で40日も保育園を病欠し、私自身も常に風邪をもらい続けながら、這ってでも出社し、咳で話せなくなり筆談しながら仕事をするという過酷な1年目を過ごしました。
前にも後ろにも進めないトンネルの中にいるようで、あまりの辛さに辞めたいと思いましたが、辞める前にボーナスを全て家事代行に使おう、それでもダメなら辞めようと心に決めて、京都で使えるサービスを片っ端から試すことにしました。

ワーママ2年目(2017年秋〜)
子供も2歳近くなり、病気で休む頻度は0歳クラスの半分程度に。その頃京都でサービスを始めたタスカジで料理代行を定期的に使うようになったことで、栄養状態とメンタルが改善。急な病欠対応にも夫婦で対応することに慣れ、何とか続けられるかも、と両立が少し軌道に乗ってくる。

ワーママ3年目(2018年秋〜)
2人目を妊娠し、1人目の妊娠中とは異なり自分のペースで休めない日々の中、長男のイヤイヤ期や赤ちゃん返りとの向き合い方に悩む。長男に厳しく当たってしまうことも増え、何でこんなに余裕がないんだろうと自分を責める。妊娠後期では妊娠糖尿病があることがわかり、血糖測定と厳しい食事制限に疲労困憊になる。

ワーママ4年目(2019年秋〜)
自分にとって出産は2人で最後だろうと思っていたので、2人目の育休は後悔のないよう過ごそうと、とにかく子供たちとの時間を大切に過ごしました。また、私が1人目の復職時にワーママとして働く上で足りなかったものや欲しかったものは社内外の"横や斜めのつながり"だと感じていたため、社内でのワーママコミュニティを立ち上げたり、社外でも育休者やワーママのコミュニティに参加してみたりしました。この頃、noteでのブログでの発信も始める。

ワーママ5年目(2020年秋〜)
復帰と同時にプロジェクトリーダーを任せたいと言われ、期待に応えたいと頑張った年。1人目復帰時の反省を踏まえ、家事代行やシッターにも頼り、スムーズなスタートを切りましたが、春からコロナが世間に蔓延し、保育園も休園。子供たちを見ながら在宅勤務をするという日々を過ごしますが、社内外のコミュニティに自分も支えられて何とかしのぎます。

ワーママ6年目(2021年秋〜)
コロナの波はありつつも出社と在宅勤務を併用して仕事に奮闘。この頃、出社前提でのメーカー研究職と長男の小1の壁の両立をどうしていこうか悩んでいました。ただ長男が保育園を卒園するまでは、今の研究職としての仕事をやり切ると決め、新しい事業案、生産性を高める企画、社内ワーママコミュニティの公式化などを積極的に提案していきます。

ワーママ7年目(2022年秋〜)
小学生になる長男と向き合う時間を確保しつつ自分に合った仕事も続けたいと考えた結果、医療ベンチャーへの異職種転職を決め、3月に退職し4月から新しい仕事を始めました。

ワーママ8年目(2023年秋〜)
希望した通り、フルリモート・フルフレックスでの仕事は育児との両立がしやすく、ワーママであることのハンデが最小だと感じています。子供たちの病欠もほぼなく、新しいチャレンジもしやすい時期です。ベンチャーなので忙しくもあるのですが、学ぶことが好きなので楽しくやってます。一方で年齢に伴う体力低下も感じつつあり、気持ちに体力が追いつかないジレンマが。体力作りが目下の重要課題です。

こう振り返ってみるとあっという間なのですが、周りにも核家族でのワーママの先輩が少ない世代だったので一歩一歩悩みながらの道のりでした。
長文になりましたが、こんな働き方の事例もあるんだなぁと参考になれば幸いです!


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