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【WEEKLY留学記㉒】(2/4~2/10)

携帯が自分の生活から消え、ライフスタイルも少し変わりました。

断片的な情報や雑多な通知から逃れられ、その代わりに授業を復習する時間、参考書を読む時間が増ました。まとまった情報を吸収する機会が少し増えた気がします。勉強が目的で留学に来ているので、本来そのはずじゃないとダメなんですが(汗)。逆に言えば、前は携帯などからの誘惑にすごい弱かったわけです。

寝る前に最後に触るものと、目覚めてから最初に触るものは、前まで携帯でしたが、今はパソコンのアラームになっています。少なくとも、暗闇の中でスクリーンを見ることは無くなったかな。

人間万事、塞翁が馬。

初めてこの言葉の意味をちゃんと知ったのは、iPS細胞を発見した山中教授の講演をYouTubeで見た時だったと思います。

これは大変だなあって思ったことは、実は良いことの始まりだったり、これは良いことだなあと思ったことは、実は険しい道の始まりだったり。なんでも一喜一憂してはいけないという中国のことわざ。本当にその通りだと思いますね。色んなタイミングで、この言葉に助けられている気がしてなりません。


本題に入る前に、最近知った新しい英語があります。

Weeb(ウィーブ)って聞いたことありますか?大麻を意味するWeed(ウィード)とはまた違いますよ。

WeebはどうやらWeeaboo(ウィアブー)というスラングを省略したもので、「日本かぶれ」「日本オタク」などの意味を持つスラングみたいです。なんでこんな言い方するんかなと思って調べたら、そのWeeabooは、さらに"White"+"Japanese"=Wapanese(ワパニーズ)から派生したみたい。もはや原型とどめていない!!

日本には、アニメやマンガについて自由に話し合う(時に自由過ぎるくらい)サイト、俗にいう「2ちゃんねる」がありますが、英語圏にも「4chan」があるみたいです。英語スラングの勉強がてらに覗いてみては?


さて、昨年末からか、一気にアート関連の話題に興味を持つようになりました。単なる好奇心からアートの授業を取ったり、デザイン関連の本を読んだりするようになりましたが、同時に自分の専門分野、分子生物学、遺伝学、もっと広く捉えれば生命科学とも深く関連があることに気づかされました。

前回はアートと科学の共通点について考えましたが、まだ少し言い足りないことがありました。なので今日は、アートについてもう少し付け加えたいと思います。

来週は「デザイン×バイオテクノロジー」で僕が面白いなと思う例を何個か紹介して、アートとデザインのまとめみたいなものを考えれたらなって。本当は一週間分のWEEKLY留学記でまとめたかったんですが、どうやら自分の中でもまとまってなかったようでした。まあ、ゆっくりやっていきましょう。


美術館の入館チケットが処方される日が

先日アートと科学の授業で教授がこんなニュースを紹介してくれました。

カナダのモントリオールでは昨年2018年の11月1日から、医者が患者さんに対して、心理的症状を軽減する治療として、美術館へのチケットを処方することが可能になりました。

そのチケットが処方されると、患者さんは家族や大事な人と共に、モントリオール美術館をはじめとする50近くもの美術館に無料で足を運ぶことができるようになります。

治療というよりはセラピーいう捉え方の方が正しいかもしれません。都会の喧騒から離れて、美術館が作り出す静かな空間にじっくりと浸る時間は誰にとっても心が安らぐひと時だと思います。このキャンペーンの有用性を裏付ける研究によると、美術館に訪れ、アート作品を鑑賞することは、お年寄りの心理的ストレスを軽減し、幸福感を高める働きがあるとのことです。他にも、美術館という新しいコミュニティに入ることで、作品とともに、違ったバックグラウンドを持った人と接することが、生活の質の向上に繋がる効果があるみたいです。

日本でも地方に行けば、小規模でこういった連携があるかもしれませんが、僕はまだ日本で聞いたことがないです。ストレス社会と言われる現代の日本では必ず、メンタル面のケアを必要とする需要は増えてくるはず。これからこうした柔軟な対応が増えてくるといいなと思います。カナダでは、以前は教会が果たしていた役割を、今は美術館やギャラリーが果たす時代になったと言えますね。

ちなみに、幸福感を高めると言われる化学物質、セロトニンがあります。脳内で一定量以上生産されると、ハッピーになる(と感じるの方が正しいかもしれない)とよく言われています。今学期、僕は大学で神経科学を取っていますが、ハッキリ言ってそのメカニズムをよく理解できていません。

すごく不思議なんですよね。どうして満天の星空やゴッホの『星月夜』を見て、はたまたしとしと降る雨音やショパンの『雨だれ』を聞いて、僕らの脳がそれを、「心地良い」って感じるのかなって。

網膜の表面に張り付いてるタンパク質を刺激する光の粒も、鼓膜を揺さぶる空気の波も、鼻や舌が感知する分子も同様にして、電気信号や化学シグナルに変換されて脳内を駆け回るけど、どうやってそれらの情報の集まりを脳が「心地良い」or「心地良くない」って判断するのか不思議です。今日では、精神的に健やかでない時に病院行くと、抗うつ剤や精神安定剤などを処方されますが、どうも僕にはそれは対症療法のような気がして、悲しく感じさせる脳内のメカニズムにアプローチしているわけないと思います。逆に言えば、仮にそのメカニズムが解明されたら、医療だけでなくアートの制作アプローチも変わりそうです。人間がどういった情報を「心地良い」、「美しい」と感じるかが科学的に(数量的に)分析できれば、ゴールが見えるようになりますからね。

科学が発展して本当にそんな未来が来るとしたら、少しつまらなくなるような気もします。

Vincent van Gogh, The Starry Night, June 1889

Picturing Science and Engineering

韓国から留学生で、服飾を専攻してる友達は、一から採寸して服を仕立て上げることが卒業条件だと聞きました。聞いたその時は、大変そうだけどそれが好きな人なら楽しそうだなと思いましたね。

国によって、また学部によって違ったりするかもしれませんが、でも日本のほとんどの大学では、論文を書くことが大学にいるうちの最後の大仕事だと思います。

僕が日本で在籍している大学には、論文にむけた英語のライティング指導授業があったり、たまに、図書館の自由スペースで無料の論文書き方ミニワークショップが開催されてたりします。他の日本の大学でもそうじゃないかな。


でも論文って何のためにあるんですかね。大学を卒業するためにツールに成り下がってしまってはダメなのは確かです。そう言っている僕は学部二回生で論文を一本も出したことがありませんが。でも、そのうち書く人間としての意見を言うとすると、論文はあらゆる重要な情報のソースになるものですよね。ニュースや新聞を上回って信憑性が高い参考文献だと一般的に認められています。

なので当然、論文は誰かが読んでも誤解が生まれないように、言語もしくは数式によって厳密な論理で構築されることが必要です。だからきっと、多くの大学で、パラグラフの書き方を教えるクラスを設置したり、ワークショップを開いたりと、言葉による(バーバルな)情報伝達に重きを置いているはずです。確かに大事なことですよね。実際、僕らが脳内で抱くほとんどの思考って、言葉を通してかみ砕いて理解し、また言葉を通して他人に伝えるものですから。(その一方で、表情、音楽、絵画、もしくは料理やファッションでしか伝えられない概念や気持ちも必ずあります。)

そう、たしかに論文は重要な情報源で、ロジカルな書き方が求められます。でも時に、言葉を通してだからこそ、難解な時もあります。特に専門家以外の人が論文を読む時。まずそれぞれの言葉の定義(もしくは数式の意味)を理解して、その後に理論を追うような過程はその分野の初心者にとってはあまりに苦痛だと思います。

一方で、もし利用可能なら、写真・イラストを見た方が早いやんという時もあります。

この方、Felice Frankel (フェリス フランケル)という方で、MITで化学エンジニアリングの研究をしている傍ら、科学写真家という職業をされています。

ニューヨークのアーティストが集まる街、ブルックリンに生まれ、大学をブルックリンカレッジで卒業するという、生粋のブルックリンerであるフェリスさん。 科学写真家として、事実を正確に反映しながらも、科学の玄関ドアを叩く初心者にも分かりやすく、かつ興味をそそるような画像を撮影することに取り組んでいます。

From Felice C. Frankel, “Picturing Science and Engineering,” Inside Higher
Ed., January 15, 2019.

例えば、上の二枚の写真は同じ素材を映していますが、表現次第で見えてくる情報量が全然違います。柔軟性、透光性、材質の違い、とげとげの長さだったりと。左の写真だともう、いいから文章読め!と静かな圧力をかけてきているような気さえします。

論文はもちろんエッセイや随筆でもなければ、芸術作品でもないですが、文章と写真/イラストどちらも大事ということを気づかされます。写真は直感にフィットするような分かりやすい情報を瞬時に提供し、全体像を与える一方で、文章は理論を紡いで写真が示す情報を裏付けたり、補足したり、また時間軸に沿った情報を与えたりする役割がそれぞれにあることが分かります。

なので、フェリスさん手掛けた右の写真ように、正確な情報が目に飛び込むような写真を撮ることは、論理的な文章を書くことと同様に、訓練が必要です。読者に伝えたいことを洗い出した上で、それを表現する写真のテクニックも求められますからね。しかし残念ながら、論文のための写真講座というものは世間にまだ広がっていないというのもまた実状です。

啓発と教育が理由で、彼女は『Picturing Science and Engineering』という本を昨年2018年に出版しました。今度本屋に立ち寄る機会があれば、覗いてみようと考えてます。

2年後の今頃の時期かな。ぼくが卒論を書くテーマのはきっと細胞の中の話なので、写真を使うとしたら、顕微鏡の下に写るものかX線回折分析でできた画像になるかと思います。その時にまた、この本を思い出して、実践に移せれたら、それこそ点と点が繋がる瞬間なんじゃないかなと思います。


アートと科学の交差点としての締めくくりに、その異分野をつなぎ合わせた先駆者であるレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉を引用させてください。

“Principles for the Development of a Complete Mind: Study the science of art. Study the art of science. Develop your senses- especially learn how to see. Realize that everything connects to everything else.”

― Leonardo da Vinci

”脳が発達するために重要なこと、それは、美の科学を学ぶこと、科学の美を学ぶこと、五感、特に観察眼を磨くこと、そして、全てが全てに繋がっていることに気が付いていること。”

日本語訳は勝手に僕が訳したもので、原文から色んな捉え方があると思います。訳しながら、某大学の英語の入試問題を思い出しました。。。

今週はここまでにして、来週こそ「デザイン×バイオテクノロジー」を書きます。

君に幸あれ!!!