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2020.5.19 びびってません。

わたしの最初の職場は絵に描いたようなブラック企業だった。細かいところは思いっきり省くけれど、世間で言われるようなブラック(企業)ジョークが10個あれば9個くらいは当てはまるような企業だったと思う。

そんな地獄のような最初の職にあって、救いは直属の上司だった。

直属の上司は常に厳しくて、口下手な人だったけれどわたしがやることを見ていてくれた。わたし以上に見てくれていたかもしれない。日々の仕事を完璧に―わたしから見て、完璧に―こなしお客さんをあたたかく迎えながら、わたしの行動を見ていた。

「ああ、これ見られたら怒られるな…」

と思った次の瞬間には「ねえ。」という声がして背筋が凍った。「それさ。」と畳み掛けられて逃げられない。

「どこ向いて仕事してんの?」

企業に努めて人に怒られた回数は数しれないけれど、あのときほどイヤな汗をかいた経験はあまりない。(しかも一回や二回じゃない)

厳しいけれど、厳しいだけの人ではなかった。
わたしが何を得意として何を苦手としていたかはとっくに把握していて、それを踏まえて言葉を投げかけた。

わたしはパン屋の販売員だったのだけれど、POPをつくるのが本当に下手だ。レイアウトのセンスもまるでない。自分でやっていて自分が何一つ上手じゃないことがわかる。本を読んでも人の話を聞いても、全然なにをどうつくったらいいかわからない。上司はそれを技術的に指導もしないし、けなしもしなかった。ただお客さんに対してあまりに思いやりに欠けた仕事をした時だけ、「丁寧にやって。」とだけ言った。

そういうところで頑張っても結果が出せなかったから、とにかくお客さんとの会話とか、元気な声掛けをして焼きたてのパンのアピールをするだとかをやっていた。人と接するのは上手じゃないけれど、苦手ではない。あの瞬間が夢中だった。お客さんと打ち解けた瞬間が、何よりも好きだった。

上司とは後に色々と仕事以外のことも話すようになって、人付き合いがかなり苦手な人だということが分かった。苦手だけれど誰かのためになにかできることを最大限したくて、特に小さなお子さんに対して暖かく接客していた。

そんな上司とのやり取りで強く覚えている場面がある。わたしが初めて何かを仕切って仕事をするときがやってきた。その直前、ミーティングというか雑談というかをしながらちょっと自分が仕切ることに対して弱気な発言をしたときだった。上司がぶっきらぼうに、

「びびってんのか?」

と言ってきた。いつも以上にぶっきらぼうだった。反射的に「びびってません!」と言った。内心はもちろんびびっていた。まあ、見透かされていたのだろう。その後も嬉しいことや悲しいことがたくさんあったけれど、その上司は話すたびに真剣にそれを聞いてくれた。自分も上司がなにか話してくれた時は真剣に答えた。とても充実した瞬間だった。たぶん上司と部下という関係はこの人とのことでもう尽きるのだろうと思った。思っている。

なにか自分が新しいことをしようとするたびに、上司の、彼女の言葉が脳裏に響く。

「びびってんのか?」

びびってませんよ。今日はもう。


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