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2020.4.19 ナチュラルな変身の連続。

接客してるときほど自分の連続的な変化を感じるときはない。中学生の時「カメレオン」という接する人間によって態度を変えまくる(のが滑稽だってテイストで授業は進んだが)人を題材にした小説を教科書で読んだ。あれはなかなか馬鹿にできなくて、権威や好き嫌い諸々含めて時に瞬間瞬間で変身し続けることはあると思う。というかそうでなければ対応できないときがたくさんある。気弱そうで何かをおすすめしてほしそうなお客さんの次には語りたいお客さんがくるかもしれない。という単純なシチュエーションを想定しただけでも、わたしはわたしを貫くわけにはいかない。変化を貫き続けるしかないし、とかかくとへんに悲壮に聞こえるけれど、変化しっぱなしでいい。変わり続けた自分を回想で見つめながら夜を過ごす。気を張っていたとき、気が緩んでいたとき、そのどちらもが今こうして家で天井見上げてため息ついているときよりずっとなんか「入っている」気がする。ただ、疲弊はする。接客も酒も好きだけれど、故にオーバーヒートする。大した話をしたわけではないけれど、お客さんが少しでも喜んでくれたなら嬉しいし、求められたら大した話もしてみたいし、というのは置いておいて、嬉しいけれどどこか負担ではあるようで。昔「喜びもストレスなんですよ」という言説を聞いた。喜びも変化だからだよなきっと。誰かと、何かと接する限りは変化し続けなきゃならない。でなければ自然と周りは自分から遠のいていく、木がする。変化し続けなきゃならない。どうあっても。つまりそれは負担の連続でストレスの連続で、だからこそどっかでぶった切ってため息をつかなきゃならない。ため息をすると幸せが逃げるという。未来の自分のもとにでも向ったんじゃないの。とか考えると少しだけ、充実のため息です。

酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。