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2020.4.18 好みでまわるこの世界は。

比喩だらけである。

毎日生きるにあたってひとつ確信があって、それは一個しかない(というのも冗長な)世界の果てに、あるいはすぐとなりに別の世界たちがあるのだろうというものだ。見えないし感じられないし思考の中ですら存在していると言えるのかよくわからない。けど動いてなんか知らないけどわたしに話しかけてくる世界のことを他人という。うっすらぼんやり抜け落ちかけた他人という観点を並び立つもののなかに戻すためにはこの考え方しかない。

そういう感じで他人を捉えると一番落ち着くのは好き嫌いを聞いた瞬間で、まあよくわからない他人の(かろうじて届く他の世界の原点?を)嫌いっていうのを聞くのはわたしも好きではないです。ですから「好き」を聞く時に一番落ち着く。それが自分の好きと重なったときは特に落ち着く。その「好き」を起点にしてのみ他人が確かになんか感じてる存在として認知できるというか。(認知が問題だからそこでは「実際に」他人がいるかどうかは問題にならんのだが)

まあそう考えると、とにかく目の前耳の前の「旨い」というコメントすら比喩なのである。あなたの旨いってなんですか。りんごみたいな香りってどんなのですか。リアルは比喩だらけだよ。だって「それ」しらないんだもの。わたしは。けれど話は伝わってしまう不思議だ。何を聞いたってその中身はすっからかんだけで言葉だけが呼応していく。その呼応の虚しさの音も聞こえる。「ただ呼応してるだけじゃないか」と。でも突き詰めればそれしかないのだ。

「うまいんですよ。」

「うまいんですか。」

「のんでみてください。」

「飲んでみました。」

「どうですか?」

「うまかったですよ!」

ほらここでしびれてしまうのだ。同じ言い方になるがそこを起点に透明な世界に色がつくような心持ちがする。相手の味なんてなにひとつたしかめられないこの世界で響く、連続した音だけがひたすらにロマンチック。

うまいです。うまいですよね。そうですよね。乾杯しましょう。乾杯乾杯。その音が響き渡るときだけ、世界には輪郭ができて、あなたとわたしが生まれる。そういう感じで生きている、気がする。

酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。