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2020.4.26 というフィールドで生きる。

不思議なもので、失敗することや困難がありそうな方向性はなんとなく事前にわかる。結果論とも言えるけれど、なんとなくわかる。証明しろと言われたら無理だけど。

重要なのはその先で、というかその手前で「自分が全く面白いと思わないこと」は諦めてやらないことだと思う。ビジネス関連の人が多用する台詞(もはや「台詞」)だから、例えば大学次第の自分だったら「なんて陳腐な」と一笑に付したかもしれない。(実際のところ「ビジネスの人が言っていることは陳腐だ」と断定することが陳腐なのだけれど、これはわたしに似たタイプの大学生には通じない話だと思う)

これまた例えばの話だけれど、菜箸ひとつにめっちゃこだわる人がいたとする。普通の箸じゃなくて、菜箸。料理人でもないのにこだわってるとする。グリップ力だとか、箸の太さなんかだとか気になるポイントがあるのだろう。で、そこで「不便だなあ」と思って使い続けてはならんのです。不便な未来は体感する前に気持ちに暗雲をもたらす。カラッとあがった天ぷらを気持ちで湿らすのはもったいない。最初から最後まで晴れやかなままやっていつのまにか余裕ができて凝っててあらビックリ作った天ぷらがSNSで話題に?!

…は、ならなくていいと思うのですが笑
余裕を作って自分が集中力とか熱意とか忘れちゃうくらいにわくわくしてなんかできるっていいと思う。

という感じで書いたのが昨日の詩で、書く前にツイッターで鬱陶しいなあと感じたアカウントを20人くらいブロックorミュートしましてこりゃまあカラッと揚がりました。皿に盛り付けるまでもスムーズで、ああやっぱりこういう瞬間がいいぜって思いました。

おいしいかどうかはまた別だ!けどおいしくするためにも必要なことなのだ。菜箸で排除できるものなら、特にね。

酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。