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2020/11/20 生活

唐揚げをつくって、果物を切って、妻が食べたいと言っていたパフェをつくる。部屋はいくら片付けても汚くなっていく。片隅にあるどこかの町を紹介するパンフレットを娘がケラケラと笑いながら読んでいる。息子は眠そうに隣の部屋においてある毛布を持ってきて広げて、その上に寝ている。部屋はオレンジ色の照明に包まれている。

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10月の半ばから毎日家族と一緒にいた。計一ヶ月半程度。齢30でそんな時間があると思わなかった。過程はどうあれ楽しかった。ただその楽しさの底にはいつも不安があった。11月に入ってからは特に。職がなくなったからだ。就職活動をした。あることをひねり出した。23で大学を卒業してからの諸々を出がらしになるまで絞りきった。

4年前くらいから、自分の好きなことを職にし始めた。清酒だ。日本酒。造りから入って、営業や販売もやった。楽しかった。けれども最終的にうまくはいかなかった。わたしは清酒業界を後にした。

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毎日朝起きると息子が自分より早く起きていた。なにか食べないと不機嫌になる彼に果物を与えて二度寝をする日々が続く。気がつくと家族が皆起きている。生活が変わった当初は驚いて笑顔を向けてくる娘が最近「おあよ!(おはよう)」というようになった。息子はみかんとチョコパンを食べている。

朝起きて行動を決める。天気が雨だと憂鬱になる。ハローワークに行く。書類をまとめる。送る。時に予期していない反応が来る。妻には「勉強してくる」と伝えてこっそり温泉に行く。平日昼間はおじいちゃんが多い。仕事をしている時に通っていたスーパー銭湯には若者が多かったから新鮮だ。おじいちゃんたちは目を閉じて湯に浸かる。一面を焼きすぎてしまった目玉焼きみたいに時折反転する。それを眺めるわたしは体育座りだ。波波になったポリカーボネイトの屋根から見る曇天はつめたい色をしている。

ハローワークは喧騒と怨念が渦巻いている。求人票を検索するパソコンのエリアだけが無機質な音に包まれている。ひとたび待合室代わりの椅子のエリアに行けば誰が誰に飛ばしているのか明確な罵声が響いてくる。職を紹介する人には余裕がある。そうでない人にはない。毎日こんなやり取りが交わされていたのかと、目を丸くする。わたしの番まであと3人位だ。

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この期間はよく公園に行った。身近に公園は数多あれど、息子の体力を効率よく消費して保護者にも負担が少ない公園など存在しない。遊具だけあればいいわけでもなく、草っ原だけあればいいわけでもなく。息子と娘はよく体を動かした。妻はよく疲弊した。わたしは長男が生まれてから今までの約4年の生活を思い出していた。

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好きを仕事にした。それは喜びであって困難だった。わたしは大学時代に没頭した哲学を一度諦めた経緯から、そのあとで深く関心を寄せた日本酒に自分自身をかけているフシがあった。そんなことない、とみんなの前で思いながら、実はそうだ、とひとりで合点するような月日だった。ただ、必死にたくさん言葉を綴った。交わした。その全てはわたしのハートと指先をいつも励ました。いろいろな人々と出会った。夢のようだった。

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そんな好きを手放すことにはあまり後悔がなかった。その後悔の程度の浅さに、自分が身を捧げてきたと信じて疑わなかった日々に疑問が入った。わたしは目立ちたかった。それだけでないこともあったけれど、目立ちたかった。失敗をたくさんしたけれど、その気持がかなり失敗に関わっていることを自覚した。

まだ深くは、潜れない。溺れてしまいそうだ。
100年経ったらあなたに話そう。

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唐揚げをつくって、果物を切って、妻が食べたいと言っていたパフェをつくる。部屋はいくら片付けても汚くなっていく。片隅にあるどこかの町を紹介するパンフレットを娘がケラケラと笑いながら読んでいる。息子は眠そうに隣の部屋においてある毛布を持ってきて広げて、その上に寝ている。部屋はオレンジ色の照明に包まれている。

息子は障害がありながら、ゆっくりと成長している。娘は家族のみんなと話すのが楽しくて仕方がないようだ。妻はこの期間わたしが反対の立場だったらできないような姿勢で毎日やり取りをしてくれた。「30歳で無職」。ツッコミどころだらけで楽しいワードで表される期間をわたしは楽しく過ごした。今日も楽しかった。この期間に言葉を交わした人のことを死ぬ前に思い出したい。

日々は流れていく。わたしは生きている。


酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。