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売っている商品って誰の責任で体の中に取り込むんでしょうね? 前編

唐突にすいません。
問題意識の共有で、オチはありません。

ちなみに写真は、伊豆のとある足湯。後ろの風景と懐かしいラムネがなんかいい感じで撮ってみた一枚でして、タイトルとは一切関係ありません。美味しいラムネでした。


・我々は、何かを口に入れ込む以上そのコストってのに纏わり付かれる

一度、飲食にチャレンジしました。難しくて継続を断念しました。これについても現在進行中でものすごく大きく、ちょっぴり痛い、けれども人生における貴重な学びを得ています。これについても整理して書ける日が来るといいが(笑)

で、チャレンジしてみた身からするとだいたい「売る」って行為は食事の提供サービスという直接の飲食だけでなく、弁当や物販でもだいたい同じ構造でおもたーい問題が起きているように感じます。

言うまでもなく、って感じなのですが、問題の本質は、コストです。


価格が維持できないんですね。B/Sもそうですが、主にP/Lの方が破綻します。何かの誤魔化しをしない限り。

例えば、弁当。そもそも末端価格、500円とか600円で、安全で健康で美味しいご飯がお腹いっぱい食べられるわけないのですね。でも弁当として売っている。それ、原価どうなってるの?ってことはどんな素材使ってるの?加工賃、どうした?ってことなんですね。で、実は駅で見る駅弁もおなーじことを思います。値段は上がってるんですが、それは目玉商品を真ん中に据え置くためのコストアップなわけで、付け合わせの野菜とか、揚げ物とか、よーく考えたら食べられなくなってしまいます。

不可能ではないんですよ。企業努力もしているはずです。しかし、ものすごーーーーーーい努力をして多分ギリギリです。どこかで手を抜くと、それはその手を抜い多分、消費者に都合の悪い方向に澱みがきます。

あんまりダイレクトに書くといろいろ周りの人たちがザワザワするといけないですから、割愛して(笑)。結論、しわ寄せがくるのが、2つです。

人件費と、商品に関わる直接原価、ですね。ここで具体的な考察はせず、このくらいにしておきます。人件費の部分はとっても頭の痛い構造的問題を抱えていますが、今日は、後者、商品原価について。


・無意識に「よく考えない」という選択肢で思考を止めているはずだ

ユーザーとして、忙しい日常を過ごしている我々、いちいち今、身体の中に取り込んでいるものの原価がどうなっているのか?そこのところはあんまり意識しない。別にものすごーく、高尚で澱みのない生活をしろってことじゃないんです。そりゃ、回転してるものも、駅前のつゆだくも、ハッピーなセットも食べたくなる時はあります。でもそれは何かのリスクと引き換えにそういう選択をしているってことをあまり考えないのかもしれない。(こんなことを書いている私も充分に体に悪いもの、気軽で簡単なもの、食べてます。ので、食べている人を批判したいと言うわけではありません。あと働いている人、怒らないでね)

いやいや、実は、大きいところってのはコンビニもファミレスもファーストフードも、闇はあるものの、全力でなんとかしようって人がいるのも事実です。きっと10年前よりもましなものを出しているはずです。健康志向の高まりに従って。ようするに、人の意識を気にする対応がまだあるってことです。


・ちゃんと出してくれているという信頼はどこから生まれているのか

やばいなーと思うのが、大手とは呼べない個店、および小さな連合店。もう、本当に、オーナーおよび店長、キッチンの責任者の倫理観に委ねられます。やろうと思えば、自分たちは絶対に口に入れたくないけど、見た目で誤魔化し、化学的に誤魔化し、食感と味を誤魔化して ”商品” にできるものを、料理として出すことは出来ちゃうんですよね。

〇〇鷄と新鮮野菜のXXXサラダ、の中に、どんなやばいものが入っているのかはお店の哲学と誠実さを信じる、というなんとも意味のわからないものに賭けるしかない。

でも以外とみなさん、よくわからないものを信頼してしまっている。なぜか。



・・・長くなったので、一度きりますね。

へー、オチはないくせに、続きは書くんだ〜、とかツッコミ入れそうになった人は代わりに スキ を押しておいてくださいね。続きを書く気力が湧きます。

つづく。はず。のつもり。いや、きっとそう。








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