見出し画像

街の未来に口を挟む筋合いは、あるか?

この原稿は「Fukuju stgyle vol.6 【特集】Good Workcation & 出会も喜びも2倍になる!二拠点生活のおすすめ」に寄稿したもので、そこから写真を追加するなど、少し編集を加えています。


街の未来に口を挟む筋合いは、あるのか?

片手では数えきれないほど訪れ、両手では収まらないほどの数の住民と繋がった街があったとして、それでも住民票のない街の未来に口を挟む権利は、いかほどに持ち合わせているのだろうか。複住スタイルを目指す人にとって、街の「未来」との距離感を、どう測っていけばいいか、一緒に考えてみたい。

写真:Yuichi Yokota, Logo:Yuj Doy

住民票や家があるわけではないから税金を町に収めているわけではないし、無論、町内会費を払っているわけでもない。訪問時に町内活動があれば、お金を払ってでも奮って参加するかもしれないけれど、街の日常を理解しているかと問われると、首を縦にふる勇気は、持ち合わせていない。それなりに愛を持ち合わせてはいるから、その街がこうなったらいいという思いがあったとしても「ヨソモノでしょう」と言われればその通りで、街の未来にどこまで口を出していいのやら。複住スタイルという新しい暮らし方は、時に、言葉にならない疎外感を感じる機会が生まれることがある。

北海道・知床ではクマとヒトとの適切な距離を取るための草刈り活動を住民が毎年行なっている。ここに旅人も参加が可能になっている「クマ活」今年で4年目。(写真: Yuki Higuchi)

先日、通い慣れた地域・知床の未来会議のお手伝いをさせていただいた。地域で話したい未来について考えてもらう場を提供する中で「関係人口をどう増やすか」というお題があり、その実践者として鼻息を荒くして議論に参加した。

シレトコノミライ 2023では冒頭のキーセッションを登山家・写真家 石川直樹さんと
ご一緒させていただいた

地域からは冒頭「そもそも関係人口は増やさなければいけないのか」と言う声が出た。「自分達の街は、自分達で未来を作る」。素晴らしい地域愛、こんなに想いがある住民(コラムのタイトル「風の人になる」と対比して、元来からその土地に住まう方々を「土の人」と筆者は呼ぶ)たちが集まる地域の未来は明るいと改めて感動した一方で、ふっと「住んでいる人だけで地域の未来は明るくできるか。」と僕は違和感を覚えたし、この感情は、もっと踏み込んだ感情で言えば、僕たちは何も出来なのいのかと寂しさに似た感情でもあって、どう消化すればいいのか、大変に苦悩した。これだから知床は。(これが「何度も通うぞ」という気持ちにさせる大切な感情だったりするから、面白いもので)

入り込むほど見えてくる、街の歴史が紡いだ想い

近所のラーメン屋にフラッと立ち寄ると、地域で仲良くしてくれている住民とばったりあって一緒に食べることになったりし始めると、少しつながった気分になったりする

多くの複住スタイル実践者にとって、地域に入っていくきっかけは、最初は観光やワーケーションで訪れることが多く、そこで観光に携わる方々に出会って仲良くなったり、フラッと入ったお店の店主と仲良くなったりして、またくるねと言う相手が増えていく。横のつながりがどんどん増えていくときは楽しい時間で、ますます居心地が良くなり、毎回訪れるたびに少しずつ、複住スタイルの拠点としてぼんやりイメージが湧いてくるものだ。

一方で、ぼんやり見えてきた複住拠点候補の街には、当然歴史があって、ヨソモノには見えない関係性の積み重ねがある。横のつながりが広がってくると、地元住民の、代々その街に住み続けていたからこそ見える「街の未来」にふれ、そこには到底手が出せないと悟らされる。複住スタイルでは入り得ない「縦のつながり」に、どこまで食らいつけるか。

観光は知床を支える大切な産業の1つ(写真:Shigeki Naganuma)

複住スタイル実践者は「観光客」に含まれて理解されることが多い。少なくとも行政区分では「住民」か「観光客」でしか取り扱われないために、複住スタイルを選ぶ人たちの身分は公的にあまり認められておらず、こちらとしては「(住んでないけど)住民の一人」として捉えてもらいたたかったりするが、どうしても住民の理解とは、大きな壁が存在することになる。
風の人としての、地域に入る限界。どこまで地域の未来に責任を持てるのか。もつ必要があるのか。持てないのか。

縦と横、織り合わさってできる未来への糸口

街への「関わりしろ」の持ち方は多種多様なはずで、定住している人はもちろんのこと、複住スタイルな人も、リゾートバイトなどで季節的に住まう人も、あるいは、一期一会の観光客もリピーター観光客も街で関わる人も、関わりしろの一人であるはずだ。ただ「街の未来」に関わる際には、縦のつながりを知らないものたちが、どこまで関われるのか、その線引きの正解は見えない。

多様な価値観の表面化を通じて、街側(土の人)もこの変容にどこまで対応できるかが問われていると思う。訪れる側もどこまで受け入れてもらうのが心地よいのか。1つ1つの街ごとに、一度正面切って議論していかないといけないのではないだろうか。

横のつながりを広げる風の人がいて、縦のつながりを深める土の人がいて。横の広がり、縦の深まり、織り合わさって、未来への道筋は太くなる。この仕掛けを上手に機能させていくことが、地方の未来につながっていくのではないかと、夢を見る。

オホーツクの夕陽とともに未来を見つめる(写真:Yuichi Yokota)

風の人が街のためにできること

先日、旅先に訪れた酒場の帰り路にネパール人学生と出会った。彼は道端で、ふらふらと千鳥足。大丈夫か声をかけたら、酔った弱々しい声で、「ここにインターンシップで訪れているが、日本語が必要なのに全く覚えられず、言語の壁から友達ができない」と寂しい思いを吐露した。日本が大好きなのに、日本にいるのが辛いんだと嘆いている。インターンが終了する8ヶ月先まで、彼の声は、この街の誰が受け止めるか。

15分ほど話を重ねて見送った翌日「日本に来て以来、一番思い出に残った時間になった。一生忘れないよ、ありがとう」と彼からメッセージをもらった。そういえばSNSの交換をしていたんだった。10ヶ月だけ、この街に住まう彼の声は、この街の未来に何か関係があるのか。彼の悩みを聞いた僕は、この街に住まう彼にとって小さな光にでもなったのだろうか。

彼のSNSにはその日、地域とBBQをしている楽しそうな映像が投稿されていた。

シレトコサスティナブル、最前線。

TABIPPO.netより

世界中で遊行を続ける大瀬良が、どうしてそこまで知床に足を運ばせるのか、と尋ねられることも時々あるんですが、その理由が、今回紹介したテーマを与えてくれるところだったりするのです。只の観光客として終えられるのであれば、それは他の場所でも良い。一筋縄では済まない(!?)シレトコノミライに触れ、僕は改めて「地域と複住スタイル」の距離について、考える機会を頂いたのでした。知床に住まうみなさんの魅力あふれるサイトになっているので、ぜひ覗いてみてください↓↓↓↓↓

Be where you are meant to be.
あるべき場所に、いられる世界へ。


Thank you for your support!