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ベリーショートトリップ〜たまにどこかに行っている〜

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5月中の休みはほとんど家にいて作業をしていた。
知人のイベントに使う飾り付けを作っていたのだ。仕事のあった日も夜22時頃から机に向かい、手内職のような夜なべ仕事が続いた。
家の一間は足の踏み場もないくらいの惨状となったまま半月が過ぎた。
ようやくイベントが終わ って、少しずつ部屋を片付けをする夜。制作の過程で出たゴミくずや、試作で使った素材などを手にとって眺めながらぼんやりと過ごしていた。

この制作で出たゴミのようなもの。これがなかなか曲者なのである。
絵の具を塗る時に下敷きにしたダンボール。切り抜いたステンシル。絵の具を拭き取った不要紙。絵の具を溶いた紙コップやプラ容器、筆を拭いたハギレ。不意に現れるカラフルな模様や形。この何だかわからない「何か」に触発され、アイディアが浮かぶことがよくある。一見ゴミだが、それらはしばしば発想や制作の火種になるため、捨てるに捨てられず、溜まっていく一方なのだ。
机の背後にある本棚は、絵の具や筆やのりやボンドなどと一緒に、そうした制作の残骸たちで埋め尽くされている。夜、机に向かっていると、背後からそれら残骸たちがひそひそと話を始めるような気さえしてくる。

以前、何かお題があると突然火がついたように制作を始めるということを書いた。ならば自分でお題を出せばよいではないかと思われるが、なかなかそれができない。お題がなくなると、また制作衝動は途切れてしまう。
夜な夜な片付けをしながら、ゴミをあさっていてふと思いつく。
22時ごろ。夕食を終え、何もなければテレビを見て過ごす時間。この時間を半ば強制的に制作の時間にしたらどうか。
もちろん、不規則なシフト制の仕事のため、毎日ではない。
とりあえず、机に座り、作るでもなく、作らないでもなく、何か手を動かしてみる。
何ができるかはわからない。
とにかく、「アートワーク22時ごろ〜」と題して、1時間ほど素材に触発されるままに何かこしらえてみることにした。
その日の素材は、ダンボールを止めていた白い養生テープ。このテープをビリビリとはがす。何気なくテープを無造作にちぎる。机に貼り付ける。黒マジックで擲り書きをする。一度剥がし、張り替える。また、マジックで擲り書。それを再度ベニア板貼り付ける。
そこには、ビジョンも何もない。
ただ、衝動として造作が生まれただけだ。

アート云々について、私は語ることはあまり好きではないし、そもそもよくわかっていない。
ただ、よくわからないものを安易にアートいう言葉に置き換えることはどうかと思う。
以前しばらくそれなりに考えてみたことがあった。
そして、自分なりにと言うか、私にとっての、という前置きをした上で、聞かれたら、こう言うことにしている。 

「それは、触媒のようなもの」

触媒とは「それ自体は変化せず、他の物質のなかだちとなって、化学反応を促進したり抑制したりする物質」のこと。
アート自体は物質ではない。そのため化学でいう触媒とは少し異なるが、性質としては同じようなものと思っている。
似た言葉に、媒体がある。
媒体とは、「ものとものの間で仲立ちをするもの、情報伝達の媒介手段」とある。例えば、情報媒体といえば、新聞やテレビ、ネットなど指し、記憶媒体といえば、パソコンのハードディスクやメモリーカードなどを言う。
そうした意味では、アートが触媒ならば媒体が「作品」であるということはできる。
ちなみに、媒体の英語「medium」といえば、油絵の下地を作る時に使う塗料のことでもあり、布地と油絵の具の定着を良くするために使われる。
結局、何が言いたいかというと、私としては、作品自体がアートではないということなのだ。
最近、福祉の仕事とは別に制作を行うことをしているが、なかなか説明がしづらい。
私にとってアートは作品ではないのだが、何か作品を作っているように思われることがある。
アートを触媒として何かを媒介していることは確かである。そこで生まれた媒体を作品いうことはできる。
しかし、その媒体は、世のアーティストと呼ばれる人々のように、表現として、自分の中から自発的に生まれることはない。
「表現と表出は違う」と言われたことがある。まさしく、私のは、表現ではなく、よく言っても表出に過ぎないのかもしれない。
つまるところ、「マラリアは蚊を媒介にして人から人へと感染する」に例えるなら、アートを媒介する蚊のようなものが私ということになる。
自称の肩書きに、アーティストではなく、アートワーカーという言葉を使うのは、そういうことからなのだが、他人にしてみればどうでもよいことだろう。

さて、今回はまだどこにも 行かないまま、こんな記事を書いた。
実は話はここから始まる。これからどこかへ行くところなのだ。
このアートワークに絡み、次のイベントのお題が持ち上がったのである。
私のアートワークの軸になるような企画であり、その準備に取り掛かっているところだが、話の続きはまだ起こっていない。
どうなるのか、これがまさにアートワークということである。
ちょっとした経緯があり、不意に飛び込んできたアートとは?という問いをきっかけに、次の衝動が始まった。
その言葉を反芻ししながら、今夜も手を動かす。
(ゴミに価値をつけることはできても、アートなんてそんなたいそうなもんじゃない)
渦巻く思考に反して、できたもの。 

ほら、これは、これだもの。


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