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ベリーショートトリップ〜たまにどこかに行っている〜

22  痴呆町


大型連休も過ぎた5月の初旬。
賑わった各地の喧騒はどこへやら。
地方のまた地方の町の、緩慢とした駅前広場。


平日の午後。
一時間前からバスをまっている。
まるで浮遊霊のように漂う人がちらほら。
ベンチに座ってるおかっぱ頭のメガネをかけたおばさんは何を待ってるのか。
スーツ姿の男もずっとスマホを見たまま30分。仕事をしているのか、ただスーツを着ているだけのか。
赤ら顔パーマヘアーのリュック中年男は、バスが来る前にどこへともなく歩いていった。
空はどんよりとして、時折風に雫が混じって飛んでくる。 
風は少し吹くとまたすぐ止み、薬局の前に並べられた幟旗をまるで義務的に揺らしているようだ

地方の現実がここにある。別に憂いているわけでない。こんな無為な時間や空間に身を委ねることをなぜ恐れるのか。
賑わい、活性。それだけが豊かさではない。 目的や行為を時間や空間から放つという豊かさがある。

山沿いの街へバスに乗って向かう。
一人一台の車を所有する地方の生活では、こんなことはまずありえない。
遠くの観光地へ行くよりも時間と空間を浪費する。
なぜバスで山に行くことになったのか。

先日、カブで1時間ほどかけ、山の方へ山菜を見に行った。
その帰り道、突如後ろのタイヤがパンクし、走行できなくなった。
かつて夜中に同じことを経験してる。カブというのは、安定性はあるが、山道などには弱く、パンクをしやすいのである。
まだ日は高かったが、自宅まではまだ二つほど山を越えなければならない。
1キロほど手押しをして集落まで来ると、ちょうど小さな自動車工場があった。立ち寄って、事情を話し、カブを置かせてもらうことにした。年若の店主は「いいっすよ〜」という感じで快く引き取ってくれた。ついでだから近くのバイク屋まで積んで持って行っておくからと、電話をしてくれた。バイク屋は今日すぐには直せないので、また取りに来てくれればそれまで直しておくという。
「どうやって帰るんすか?」
と店主は気遣ってくれた。確かバス路線が通っているはずだったと思い出し、時間を聞いたが、残り一本のバスまではまだ3時間近くある。
「途中までなら送ってきますよ」
さりげなく言う。
「いんですか?すみません。ではお願いします」とお言葉にあまえる。
仕事に戻らなければならないから、途中までで悪いですねと言われながら、隣町のコンビニまで送ってくれた。
本当に気のいい人だ。
「こっからならタクシーでも呼べるんで大丈夫です」と礼を言って別れた。
さて、ここから。
私はタクシーなど呼ぶつもりはない。スマホの電源が切れてしまい呼ぶ手段もない。
初めから誰かにまた乗せてもらおうと思っている。悪びれることなく、コンビニの駐車場を物色する。
実は私はヒッチハイクには慣れている。
ヒッチハイクというと道路で標札を掲げて立っているイメージがあるが、あのやり方では成功する率は低く、時間もかかる。
止まってくれるぐらいの人だから、親切な事は保証できるが、こちらで選べないということでもある。
日本東北の片田舎のヒッチハイクの仕方はこうである。

この人だな、と思う人を見極めたら、そっと近づき直談判。最初は怪訝な顔をされるが、事情を説明し、怪しさを払拭する。
方向さえ合えば余程のことがない限り、断られることはない。
「あ〜いいですよ〜はははっ」
と笑って快諾してくれたのは、男子高校生を乗せた中年の女性。
ちょうど方向は同じで、足労をかけることはない。
さすがに自宅までというのは気がひけるので、自宅まで3キロほどの分かれ道で降ろしてもらった。
後でお礼をしたいのでと住所を聞くと「いいですから〜」と手をふりながら車を進ませ、さりげなく行ってしまった。
製紙工場の煙が夕日に染まっている。
とぼとぼと自宅までの道のり。日が落ちると急に冷えが出てきた。
田んぼに張られた水が少しずつ橙から群青に変わた。

これがバスに乗る理由となったなった一週間前の出来事。
これからカブを引き取りに行く。

山を抜ける路線の窓。絶え間なく流れる緑の流線に時折鮮やかな黄色や赤が混じる。
同行は、杖に両手をかけ、ずっと窓の外を眺めているばあさん一人。
乗り降りのないバス停。
まるで地蔵のように立つ標識。
地名がいいな。
桜内
万崎
花館
音無
北向  

呆けたように、ぼんやりそれらの文字を追った。



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