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ベリーショートトリップ〜たまにどこかにいっている〜

21   春化


すっかり春めいた4月の初旬。春の植え付けに向けて、畑の土を起こしに行いった。
チンゲン菜、大根菜など、菜花系の葉物が秋口に一度食べるぐらい収穫したきりそのままになっている。冬に入る前、引っこ抜いて片付けようと思ったが、わずかに葉に緑色を留めており、枯れるに任せて放っておくことにした。
その後、時折様子を見に行くと、これが一向に枯れる気配はない。そして氷点下が続く極寒の1月、2月も耐え忍び、縮こまりながら冬を越した。
それが3月も中頃。いよいよ待ってましたとばかりに、菜花たちは一斉に新芽を吹き出しはじめた。その勢いは目を瞠るばかりで、4月入るとあっという間に花を咲かせた。耐え忍んだ冬の姿を見てきただけに、鮮やかな黄色が目にしみるほど眩しい。
越冬した葉物の多くはこのとう立ちを起こす。前回ふきの薹のことを書いたが、ふきの薹の薹はこのとう立ちのことを示している。調べてみると、とう立ちとは花芽のついている茎が伸びてきた状態のこと。植物が冬の低温状況に一定期間さらされることによって、開花もしくは発芽能力が誘導されるらしい。これを春化と言う。つまりは、花をつけ種を結ぶ要件に、過酷な低温状態が必要だったというわけだ。
先日も道を歩いていると、畑に取り残され腐りかかっていた白菜の茶色い楕円体からスルリと茎が伸びて黄色い菜花を咲かせているのを見つけた。まさに春化である。
家の台所の窓際も春化たけなわである。大根や人参の頭、ネギの根っこや、ブロッコリーやキャベツの芯などを切って水に挿して置いてたのだが、4月に入ると静かだったその断片たちからニョキニョキと新芽が伸び、窓際が緑の様相を示してきた。どこにその源があるのか不思議でならない。根っこが伸びたものはプランターの土に植えてみることにした。
菜の花を見たくなり、カブを走らせ阿武隈川の河川敷に行く。そこは自生の菜花が咲いている場所で、一面が黄色で覆われる、いわゆる菜の花畑ではない。まさに春化した野生の菜花が緑の中にちらちらと黄色い花をつけ、川風に煽られながら揺れている。茎がひょろ長く花は控えめだが、遠くの方までうすい霞のように黄色がたなびいている。
幻のようなその黄色い霞に目眩し、夢想の心地で菜の花に分け入っていく。
河川敷。たまにこの人の管理から離れた余剰地帯に来るとよい。息が深くできるような気がする。腐食した草や枯れた葦が積もる地面をガサガサと踏みながら、ふと、その音を立てているのが自分であることを忘れている。
絶え間なく内耳に入り込んでくる風が平衡感覚を失われせ、ふらふらと本当に風になったような気分でよろめく。
広野に悠然と立ち尽くす一本の大木。風が創ったかのようなその幹枝は、全き自然で非の打ち所がない。ほのかに薄い緑の新芽が吹き出している。
思わずため息をつく。そこはもう極楽浄土。


それからしばらく、我を忘れて、歩きつづけた。気がついた頃には入日薄れ、東の空に浮かぶ月は朧。

春と化した日。


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