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ベリーショートトリップ〜たまにどこかに行っている〜

29    高松夜話

瀬戸内。二日目も朝から晴天。
豊島と小豆島を見て回った。フェリーのデッキに座り、缶ビールを片手に、夕日に染まる島々をながめながら高松に戻ったのは18時半。
連泊することにした宿に再度チェックインする。昨日と同じ手順なので、説明の電話はさらにそっけなく、鍵の入った金庫の番号だけを告げられて終了。今日も風呂は沸いていない。
荷物を置き、シャワーを浴びて、軽く飲みに行くことにした。
昨日少し目星をつけていた居酒屋が軒を連ねる路地を目指す。
全く調べず、細い路地に入り物色。店のほとんどは常連客がカウンターでチビチビやるような店か、若者向けの軽い感じの居酒屋だが、どちらも閑散として、暖簾をくぐるには今ひとつという感じ。
路地を何度か行き来していると、ガラス戸の向こうで、カウンターとテーブル席がすでに埋まって賑わっている店があった。背の低いおばさんが瓶ビールを両手に持って忙しく動き回っている。こういう店は入って間違いない。
近づいてみると、入り口からいちばん近いカウンターの一席だけが空いているようだ。カウンターの前に並べられた大皿、壁に貼られたメニューの札が書き、迷う余地なく、店の扉を開ける。
カウンターの残り一席には空いたジョッキが置かれていた。厨房には黙々と調理する年配のおばさん。フロアーに小柄なおばさん。そして、奥の方にもう一人小柄なおばさん。三人で切り盛りしているようだ。
入り口に立って、声をかけたが全く気付かれない。常連客らしい一人が気付いて「ママ、お客さん」と伝えてくれた。
「ごめんな、ここでええ、今よけるからな」と空いていたカンターの隅の席に通される。
忙しそうに歩き回るおばさん。
瓶ビールと冷奴、アジフライ、ニラ玉を注文。
酒場放浪記に出てきそうな、かなりいい感じの店である。
冷えたサッポロ赤星で喉を潤しながら、キョロキョロ店内を眺めてみると、あれあれ、酒場放浪記の吉田類さんのサイン。大当たりである。
厨房のママさんが煮卵と牛スジを乗せた皿を私の隣の常連客に差し出しながら
「うまいんよ、うちの」と教えてくれる。
見るからにうまそうだ。
「同じのください」と注文。
後に出てきたアジフライ、ニラ玉。特に何のことはないのだが、本当にうまいものは特に何のことはなくてうまい。
時折、ママさん、カウンターの上の大皿に乗った惣菜を小皿に取り分け、「お兄ちゃん、食べな」と置いてくれる。お兄ちゃんと言う年でもないのだが、
「すみません」と言いながら、1日何も食べず歩きまわったため、次々平らげるものだから「これもいる?」とまたとりわけてくれる。どれもこれもうまい。
1時間半ほどして、腹一杯になり、「また来ます」と言って店を出た。       
         
         ●

腹ごなしにアーケード街を徘徊。21時近く、人はまばらでほとんどはシャッターが閉められている。1時間程うろつき、宿のある片原町に戻り、スーパーマルナカで飲み物を買って帰ることにした。店の前に来ると、駐車場にパトカーが一台止まっている。
事件でもあったのか。横目に通り過ぎようとした時、(おや?)と一瞬足が止まる。
駐輪場の前で警察官二人に職質されていたのは、酔っ払いのおやじでも、補導少年女子でもなく、痩せ型のおばあさんだった。つばが下向きの釣り鐘型の帽子(クローシュ)を被っていて顔はよく見えないが80歳は超えていると思われた。カーキ色の薄手の半袖シャツが痩せた体を際立たせている。紺色に小さな白いドットの入ったロングスカート。足元は低いヒールがついたベージュのサンダル。小綺麗な出立ちは職質を受けるような感じではない。
(もしかしたら)と、職業的反応で立ち止まってまず思ったのは、このご老人、おそらくは道に迷って家に帰れなくなったのではないかとうこと。
(おそらくそうだろう)ということにして、そのまま素通りし店に入り、トマトジュースを買って出てきた。
まだ職質がつづいている。
(ちょと長いな)と思った。
このご老人がいわゆる認知症を患っているとして、その対応に警官が手をこまねいているとしたら、ここは私がお役に立てる場面かもしれない。
少し気になり、店の前にならべられた園芸花のポットを品定めしているふりをしながら、背を向けて、後ろ手に耳を傾けることにした。
ところが。二人の警官のうち一人の語気が段々強くなっている。
「だからね、さっきから何度も言うてますけどね、一人で帰ないんやったらパトカーで送ります。帰れるんやったら帰ってください。どうしますか?」
おばあさんの声ははっきり聞き取れないが
「そんな攻めるような言い方せんでも」と言っているのは聞こえた。
もう一人のおそらく部下だと思われる警官は幾分穏やかに
「いや私たちは心配やからいうてるんですよ」
「どうしますか?送ってきますか?一人で帰りますか?」
おばあさんは何か言っているが聞き取れない。
親分警官の方はまた語気を一段上げ
「そやからね、さっきからお酒の匂いもぷんぷんしてますしね、心配やから、送ってきますか、どうしますか言うてるんです。いやなら一人で帰るか、どちらかにしてください。それだけです。どうしますか?」
ちょとやばい感じである。もし認知症だとしたら、この問いかけは余計混乱をきたしてしまう。
振り向いて
「どうしたんですか?」
と歩みよろうといた時、おばあさんは警官に見送られるようにスタスタと歩道を歩いて行った。
警官は少し呆気にとられたように突っ立ってそれを見ていたが、すぐに無線でやりとりし、パトカーに乗り込んだ。

私も少し酔いが回っており、この結末がどうなるのか気になる。

私もおばあさんを尾行することにした。

          ●
        
片原町は繁華街から離れており、夜の人気はない。港へ続く通りをおばあさんは少しよろけながら歩いく。
パトカーも止まっては進みしながら、おばあさんを尾行している。
私はおばあさんが歩いている歩道と反対側の歩道20m後方を歩いた。
さっき警官に話しかけそびれたため、余計なことをして私が職質をかけられたらとんだ迷惑だ。おばあさんはいいとして、警官に気づかれないようにしなければならない。
ちょうど電話がかかってきて、要件はすぐ済んだが、切れてからもそのまま誰かと話している様子を見せ、警官に、私の注意がおばあさんに向いていないことを紛らわしてみせる。
どれくらい歩いたか、スーパーマルナカがまたあらわれた。あたりはやたらスーパーマルナカがある。おばあさんとの距離が近くなり、ちょうど車道を挟んで並んで歩くかたちになった。交差点を過ぎて後ろを振り返ると、パトカーは何故か左折していった。
(見切りをつけたのか?)
やがて私はおばあさんを追い抜き、斜め後方10mにその存在を確認しながら電話をしている風で歩く。
何度も振り返ると怪しまれるため、なんとなく歩いているのを感じながら歩幅を調整した。
50mぐらい進んでそっと斜め後ろを振り返ると、おばあさん車道を斜めに横断している。そしてわたしの後ろ5mまで迫ってきた。
そのまま交差点に差し掛かり、二人並んで信号待ちになった。
わたしはスマホをポケットにしまう。

         ●

遠くに汽笛の音がした。港が近いのがわかるが、どの辺を歩いているのか私もわからなくなっていた。

十数年高齢者に関わってきて、仕事場ではそれなりに対応の仕方はわかるが、それは制度上の、いわばシステムの基盤の上の話である。実際に一人の人間として対等な立場で接したことなどほとんどない。
しかし、経験則からいくつか使える技術はもちあわせてはいる。
もし、認知症を患っている高齢者に町で出くわしたらどうするか。
まず、認知症について下手な知識は捨てた方がいい。介護士の弊害。それは自分の認知症像(いくつかのパターンとその対処法)に高齢者をあてはめてしまい、それがミスリードになるというパラドックスに気づけないことである。
問題は認知症かどうかである前にその人と私との立ち位置を探ることだ。

おばあさんは、私の前を歩み出した。
ここで、
「おばあさん、どうしました?」
と急に言ったって
「なんや、あんたこそどうした?」
と不審に思われて終わりである。

ここは芝居でもなんでもなく、私の方が道を尋ねる方が自然であると思われた。
「すみません、あの、琴電の駅はどっちですかね」
「駅?」
おばあさんはポカンとして上を向き
「駅やったら、こっちやないで、向こうや」
と、歩いてきた方を指差した。
「どこにいくん?」
「あ。いや、ちょと呑んでうろうろしてて、海でも見に行こうとしたら、わからなくなって」
「海はあっちや」
実際地図を見て確かめはしなかったが、大体あっており、どうやらこのおばあさん、認知症は患っておらず、少し酒に酔っているだけらしい。
「あんたどっからきたん?」
「宮城です。友達に会いに」
「それは遠いとこから」
「おばあさんは家近くなんですか?」
「うちはここ行ったとこや。少しうちも呑んでしもてな、さっきまた警察に捕まりそうになってな。」
「マルナカのとこでですよね」
「なんや、見とったん?あんたも人が悪い」
それから少し身の上を話、正直に、気になってしばらくついてきたことを明かした。
「まあ、あんたはええ人そうやけど、あん人ら(警官)、人を馬鹿にして。何もしとらんのに。ついてきよったやろ」。
「知ってたんですか?」
「わかっとるわ。確かに酔うてるけどな」

「海やったらあっちや」
さりげなく言い捨てるようにして、おばあさんは夜の路地に消えた。

私は少し肩透かしを食らった感を覚え、ふらふらと海風にあたりながら、オレンジ色の街灯に照らされた道を引き返した。

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