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ベリーショートトリップ〜たまにどこかに行っている〜

31 四十路経


数日間昼夜逆転の生活が続き、すっかり本来の夜行性が戻ってしまった。
深夜、低くラジオをかけ、クローキーにどうでも良いドローイングなどして眠気が訪れるのを待つ。
2時すぎ、スマホを開くと母親からラインが入っていた。

[じいちゃんが亡くなりました。連絡ください]20:20
その時間はまだ仕事中だったため、受信に気づかなかった。帰宅してもなぜかその日はスマホを離していた。
[わかりました]
と、一応そっけない返信をしたが、母はもう寝ていたようで、折り返しの連絡はなかった。

これが本当の祖父の訃報ならば、すぐに実家に駆けつけなければならないが、この「じいちゃん」というのは私の祖父のことではない。
少しばかり説明がいる。
父方の祖父は私が4歳の時に他界しており、わずかな記憶しかない。
ではこの「じいちゃん」というのは誰かというと、父の昔の職場の同僚のことであり、父より一回り半ほど年配の方である。
なぜじいちゃんと呼ぶようになったかは覚えていない。小さい頃、このじいちゃんに私はよく面倒を見てもらっていた。
今思えば不思議な関係である。うちの両親とは家族ぐるみでの付き合いで、じいちゃんの奥さんを私たちはばあちゃんと呼び、二人いた息子さんの長男を大きいにいちゃん、次男を小さいにいちゃんと呼んで私が中学に上がるぐらいまで隣町にある家によく遊びに行っていた。
土曜日となるとよくじいちゃんが小学校の前に迎えに来ていて、妹とと共に「行くぞ」と言って軽のワゴンに乗せられ山に連れて行かれた。
山歩きが好きな人で、近くの野山に分け入り、山菜やどじょうなどを採りに行くのだった。特にどじょうすくいは一緒に網にかかるタガメやゲンゴロウや小魚をもらうのが目当てで喜んで後を付いて回ったのを覚えている。
私と妹がもの心ついた時にはすでにじいちゃんと呼んでいた。計算すると当時じいちゃんはまだ40代後半だったことになる。だいぶ経ってからそれに気づいたが、大人になってからもじいちゃんという呼び方は変わらなかった。
中学に上がってからは遊びに行くことはなくなり、私も妹も折々に顔を出しに行く程度になったが、両親とはずっと深い親交が続いてた。
80過ぎまで車で奥さんとよく遠出をしているとを聞いていた。しかし4年前に奥さん(私たちがばあちゃんと呼ぶ)を亡くしてからは、息子夫婦と静かな余生を送っていたらしい。享年は87歳。

翌朝、母に連絡し、葬儀に出ることを伝え、斎場で妹と共に家族で落ち合うことになった。

赤口の日曜日。斎場は葬儀社が建てたいわゆるメモリアルホール。
葬式はいつしらか、形式的で簡潔なものになった。
最近では小さなお葬式というのが主流になりつつあるが、まだ田舎の方では親類や近隣の付き合いもあり、こうしたホールで行われることが多い。しかし、それもだんだん縮小していく傾向にある。今ではそんな機会はないが、10年ほど前までは、施設でなくなった方の葬儀によく参列させていただいた。何ぶん私は葬儀については見識がある方である。

まだ家で葬式を行っていた時代、私の祖父や祖母の時などは、それはそれは異様なの気配が漂っていた。家に親戚や近所の人々が100人以上押し寄せた。台所ではもてなしのお膳や酒などの用意で割烹着を着たおばちゃんたちがもつれ合いながら慌ただしく動き、座敷は男たちがふかしたタバコの煙が立ち込め靄がかかる。どこにいたらいいかわからない人があちこちで立ち話を始め、子供たちがやがて辺りを駆けずり回り、どこの誰だかわからない強面の親父にどやされる。通夜はだんだん賑やかになり、酔い潰れ、声を荒げる人がちらほら出始めたかと思うと、いつの間にか静寂がおとづれる。しんみりと夜を明かす遠くの親類のポツポツとした会話にならないつぶやき。あの喧騒と湿っぽさが密接したカオス的光景が消えたのはいつ頃だろうか。
それに比べてメモリアルホールの葬儀はとてもとてもドライで滞りなく、あっけない。かつてそうした葬儀に参列するたびに、虚しさとともに憤りさえ覚えていた。
死者に対する名残を感じる暇もなく、淡々と進められる業務的な流れの中では、孫などが読む弔辞さえも胡散臭く感じてしまうことがあった。
昨今の社会情勢を経て、葬儀はさらに簡略化されてきている。

しかし、今回久しぶりに葬儀に出てみると、そんな感じがしなかった。
それどころか、これはこれでいいのではないかと思えた。
葬儀が終りに近づくにつれて、それは多分に経をあげる僧侶の声によるところが大きいように感じた。
お経は死者をあの世へ導くために、この世の執着を取り、成仏せよと悟らせしめるものである。しかしそれは死者だけでなく、聞いている私たちの方に対して、死者の側から、この世はかりそめの流れの泡沫でしかないのだと諭しているようにも聞こえた。
むしろ、簡素でそっけない葬式の方が厳かなものより死の本質に近いのかもしれない。
それにしても、今回聞いたお経のハリのある声はどこか明るい印象でとても心地よかった。
四十路に聞く経とはこういうものだろうか。

思う。死を大げさに思うなかれ。ただし、死を隠すなかれ。

死は概念ではなく、実体であり、それは死体に他ならない。
そうした意味で、この度はご遺体に何度か触れさせていただく機会があり、簡素ながらも良い葬儀だと思った。

喪主の大きいにいちゃんが最後に挨拶をした時、後ろに飾ってあった献花の小さな花の蕾がポロリと落ちた。
こういう些細な不思議を葬式で目にすることがある。

じいちゃんが軽ワゴンの窓を開けてよく鳴らしていた歯笛の音色を思い出し、斎場を後した。

下の歯の隙間から奏でられるあの歯笛は秋虫の声に似ていた。

帰り道、車の窓を開け真似して吹いてみる。


(そういえば俺、もうじいちゃんと呼んでいたじいちゃんの年に近い)

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