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ベリーショートトリップ〜たまにどこかに行っている〜

27  鉢植え録

その鉢植えを私はいつから所有いているか覚えがなかった。
少なくとも10年くらいになるだろうか。何度か枯れかけたが、水さえ切らさねければまた生気を取り戻し、緑の葉を茂らせた。
この葉っぱは一体何なのか、長い間特に興味もなかったが、数年前、この植物が何かを知る出来事が起こった。
初夏だったと思う。玄関で靴を履いている際、ふとその鉢植えを見ると、半ば木になりかけた茎の部分が緑色に膨らんでいる。
よく見ると、それは小指半分ほどの青虫だった。ちょうど葉の色と同化し、擬態している。
全く動こうとしないが、鉢植えを置いていた下駄箱に小さな丸いつぶのようなものがぽろぽろ落ちてる。糞らしい。
一見気持ち悪いが、じーっと見ていると黒い小さな目がクリンとして、頭が少し盛り上がっている様子がかわいらしい。
それから気になって何日か観察を続けることにした。1週間ほどするとどんどん体は大きくなり、小指大ほどにまで成長していた。
鉢植えの葉はほとんど食い尽くされ、茎だけになっている。
それから調べてみて、この青虫はアゲハの幼虫であること、そしてアゲハの幼虫は柑橘系の葉を食べることがわかった。
さてしかし、柑橘系のこの植物を私はどこから持ってきたのだろうか、覚えていない。
気がついたら鉢の中に勝手に生えていた気がする。
私は観葉植物の類を好んで買うことはないのだが、なぜかそれらを育てるのが得意な方で、枯らしたことがない。手のひらサイズのポットでもらったものも、もう十年選手がざらであり、年々置き場所に難儀している。
そこでようやくこの柑橘系はなんだろうと調べると、どうやら伊予柑であることがわかった。そういえば思い当たる節がある。机の上に置いていた鉢植えに、何気なく食べた後の伊予柑の種を埋めたことを。
その後、青虫は蛹になり、無事に羽化して立派な蝶となり、飛び立っていった。
すっかり葉を食われた伊予柑の鉢植えはしかし、青虫が出した糞を栄養にしたのか、すぐにまた葉を茂らせて復活した。
その後30センチほどまで成長した伊予柑の木。今年初めて一回り大きな鉢に植え替えをしてやった。
その他に同じく種を埋めつつ育てた10センチほどの若木の鉢を加え、6月の末、二つ並べて外に出しておいた。
7月の中頃、葉に1cmほどの黒く細長いものが付いていることに気づいた。その数パッと見10を超えていた。
しばらくそれとなく目をかけていたが、8月に入り確認するとその者たちは立派な青虫君に成長していた。
青虫君たちは食欲旺盛で、すでに鉢植えの半分の葉を食べつくしている。頭数からして、このままだと食糧不足になることが予想された。
とはいえ、家にはもう柑橘系の植物はない。
どうしたものかと、調べてみるとカラタチの木というのがあり、その葉なら食べるらしい。
しかし、このカラタチの木をどうやって見つけたらよいものか。

山の日。自転車で近所の家の植木を物色することにした。カラタチは4月か5月に白い花を咲かせるらしい。枝に鋭い棘がありそれを目印にすれば探しやすいが、やはりそう簡単に見つかるものではなかった。
猛暑の午後。汗だくになりながら自転車をこぎ、山の方や住宅街など方々かけづり回ったが、ついに見当たらなかった。
木々が茂る公園に自転車を止め、日陰のベンチに座りガリガリ君を食いながら、またどうしたものかと思案する。
オレンジ色の鬼百合の花の周りに黒アゲハが一頭舞っている。
突然ドライアーで吹きつけたような熱風が地面を這ってきた。
風は砂を巻き上げ、黒アゲハもその風に飛ばされどこかに行ってしまった。
遠くの方で雷鳴が聞こえた。
東の空にどでかい入道雲がいくつも迫り上がっている。
(どうしたものか、今日中に何か手に入れなければもしかしたら餓死してしまうかもしれない)
実際そんなことはないだろが、何故かそう思ってしまい、絶え間なく形を変える入道雲を眺めながらベンチに寝転んだ。上空を雲がながれている。蝉の声が催眠のように眠気を誘い、少し意識が薄れた。遠くでなった雷の音で気がつく。
(あ、植木屋に行けばいいのか)
そんな単純なことに何故気付かなかったのか。
急いで自転車を立て直し、町外れの園芸店を目指した。
店先に鉢植えが並べてある園芸店までたどり着いた頃、すでに雨が激しくなっていた。
ずぶ濡れになった顔を袖で拭きながら店に入り店員さんに聞く。
「あの、カラタチの木って置いてますか?」
「はい?カラタチ〜はないですね〜」
「んじゃ、何か柑橘系の、みかんとかないですかね」
「あ、みかんはないですけど、柚子と、ライムならあったと思います。」
案内されるとちょうど30センチ丈のライムと柚子の鉢植えが今しがたの雨に葉を濡らしていた。
「どちらがいいですか?今の時期になるとアゲハの幼虫がこれについて、葉っぱが食べられてしまうんですよね〜。うちのは木酢液を薄めて散布してので、大丈夫だと思いますが」
「あ、そ、そうですか、・・。ちなみに、アゲハ蝶の幼虫はどっちが好きなんですかね?」
「ん、わかんないですけど、どっちも食べられて困りますね」
「そうですか、じゃこっちのライムください」
一つ実をつけていた2000円の方のライムを買った。店員さんにはまさかそれをアゲハの餌にするとは言えないまま店を後にした。

雨は止み、神々しい金色の光が当たりを照らしていた。
鉢植えの袋を自転車のハンドルに引っ掛け、青虫が待つ家路を急いだ。
家に着くと、木酢液が付いているらしい葉を一度丁寧に洗って、鉢植えに並べて差し出した。

私は安堵して、ライムの実をもいでふたつに割り、思い切りかじってみた。意外に酸味はなく、苦味とともにさわやかな香りが鼻にぬけた。

翔んだ夏の一コマ。


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