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note投稿、習慣化

最近、毎日があっという間に過ぎていくのは僕だけでしょうか。

自分の目標に向かって日々鍛錬を積んでいるので、その充実感はあるような気はしつつも、時間に踊らされていつの間にか時間が過ぎ去っていたというか、自分で時間をコントロールできていないような。何か人生このままだと平凡に後悔だらけの人生になりそうだなと。

毎日があっという間に過ぎていく中でいつの間にか、人生もあっという間に終わってしまうのではないか。そう感じています。大人になってからというもの、大学をもう一度入り直して学び直したいということをよく考えます。大学時代は、時間があふれるほどにあって、暇で退屈のはずなのに、何も学んだ記憶がありません。つまり全く成長できていない。授業中は、椅子に座って携帯をいじるか、寝るか、友達を喋るか、別のことを考えるか、その時間を自分自身で学んでやろうという意識は全くなく、早く時間が過ぎないかなということばかり考えていました。

そうこうしているうちに、卒業を迎え、その時に僕の中に残るのは後悔だけ。もっと学んでおけば、もっと充実した生活を送っておけば、もっと意識の高い友達を増やしておけば、〇〇しておけば、、そんな後悔しか残らない。それは、自分の時間を自分でコントロールして、この時間は〇〇するぞとか、この時間に〇〇してやろう、学んでやろう、みたいな、自分で何か仕掛ける姿勢というか、主体的に取り組むことがすごい重要な気がします。

その主体性というものを持っているかどうか、その物事から得られるものは全然変わってくるし、それによって価値観も人生観も全て変わってくる。そういうのを大学時代もわかっていたんだけど、できなかった。結局は人間の意思ってそこまでの弱いものなんだってことですよね。

そうなんです。人間は弱い生き物で、意志なんてあってないようなもの。
だから、僕たちが変えなくてはいけないのは、習慣。

心じゃなくて、行動を変える。
毎日、何をするか、それだけ自分と約束してそれをやり切ってから寝る。それを自分と約束するだけ。ただそれだけ。まずはクリアできる簡単な習慣から。クリアする喜びを感じる。一つ一つタスクにチェックをつけて消していく快感は中々気持ちがいいもの。自分との約束を守ることを習慣化する。それができないと気持ちが悪い。清々しく寝ることができるように、毎日を行動していく。そこから逆算していくと、1日の行動のスケジュールとかも変わってきたりするもの。

僕はこのnoteでは、1日の中で得た「学び」を一つだけ抽出して、統合したもの、一言に落とし込んだものをあげていこうと思う。

ということで、

早速今日の学びは

「判断せず、耐える。それが生きるということ」

今日は成田悠輔さんの卒業生へのスピーチの動画を拝見した。
そこからの学び。自分のやっていることがあっているのか間違っているのか時々不安になったり、一度足を止めそうになったり投げ出したりしそうになることがあるのだけど、それは一々自分がその物事や行いに対して、判断を下しているからである。判断をする必要はない。諦める必要もない。そこに耐える。それが生きるということであり、それを楽しみなさいということなのかなと感じた。不安になることもあるけど、そんな弱い心に打ち勝って、とにかく毎日行動すること、行動しか自分の人生を変えることはない。マインドなんていう優柔不断でいい時はいいし、悪い時は何もしないなんていう能天気なものではなく、「行動」で人生を変えていくんだ。

投げられた石にとって、登ることがいいわけでもないし、落ちていくことが悪いわけでもない。-マルクスアウレニウス

今自分が成功に向かっていっているのかどうなのかわからない状態や、上手くいっているのか、それともぐずぐずと停滞しているのかわからないような状態、そんな時間を我々とても多く経験する。
しかし、その中で諦めたり、判断したりしてはいけない。
その時間を耐えることが生きるということ。
もし外側から成功だと見做された場合には、それをまた手放し、ニコニコと没落し、破壊していく必要がある。

行動あるのみ!習慣化!

最後まで読んでいただきありがとうございました♪