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歴史家を夢見て、なぜかJ〇職員に、そして脱サラ、作家の道へ①

みなさん、お疲れ様です。
作家の井川椋介です。
お前なんか知らんぞという方が、ほとんどだと思いますが(おそらく10割)、こう見えて(いや、お前なんか見たこともない)小説家なんです。
ただ、出版経験(商業、自費ともに)はなく、依頼を受けて短編作品を何度か書かせていただいた程度のレベルです。後は新人賞に応募したり、ネットに投稿したりと、そんな生活を送っています。
そんなんで作家名乗って大丈夫?と、冷たい目を向けられた方もおられることでしょう。仰ることも重々承知、しかし1円でも報酬が発生すれば、職業を名乗ってもよいというのが、私の持論。その持論に当てはめれば、1万円近い額で執筆依頼を受けた私は、十分作家と言えるでしょう。自分で言っているだけですが。

そんな井川の作家定義はともかく、なぜ私が作家になったのか、なぜ作家を目指したのか、そこからお話ししたいと思います。
私は高校卒業後、県内のEランク未満、Fランク以上の私立大学に進学し、4年間を日本史の勉強に捧げました。歴史好きの私にとって、大学での歴史の学び研究、書店で歴史関係の書籍を眺める時間は至福の時と言えました。

ただ、この時は読書こそしてはいましたが、作家はおろか、小説を書くことになる事すら想像していませんでした。
この時の、私が書く文章といえば、授業のレポートくらいでしたから。

しかし、ずっと勉強ばかりしてはいられない。留年でもしない限り、大学は4年で卒業します。それなりに優秀な成績を収めていた私は、無事卒業を迎えることになります。当時は日本史が好きで好きで仕方なかった私は、ゼミの教官のように研究者に憧れていました。
しかし、当時の私の家庭の事情的に、大学院に進むほどの余裕はありませんでした。社会人としてある程度働き、お金を貯めて、また大学院に行こう。当時の私は、そう考えていましたが、その機会が訪れることはありませんでした。

大学を成績優秀者(主席でも次席でもなく、たぶん学部で20番以内)として無事卒業した私は,J○バンクの職員として就職します。そう、あのJ○バンクです。誰もが一度はお世話になったことがあろう、J○バンクに。
適当にやった就職活動で、いくつかもらった内定先の中から、消去法で選んだ勤め先でした。
ただ、この消去法で選んだ結果が、その後の人生を大きく変えるとは、この時は誰も知りませんでした。もちろん、当事者の私も。

私の転落人生笑、そして作家への道に足を踏み締めた瞬間でした。

②に続く。

#作家 #小説家 #小説 #自分史



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