井川椋介

一応作家です。 スポーツ指導者、インストラクター、体育指導者の資格も持っています。 つ…

井川椋介

一応作家です。 スポーツ指導者、インストラクター、体育指導者の資格も持っています。 つまり、筋トレや運動もします。 第4回文芸社文庫NEO小説大賞最終選考ノミネート。

最近の記事

歴史家を夢見て、なぜかJ〇職員に、そして脱サラ、作家の道へ⑥

皆さん、お疲レンコンバーグ。 作家の井川です。 前回の話の続きになります。 J〇バンクを退職し、晴れてフリーランスとなった私は、ガンプラ作りに没頭します。没頭といっても、24時間、365日できるでもなく、組み上げてしまえば、そこで試合終了なわけです。 あくまで、ガンプラ作りは趣味の一環。大人たるもの、自己研鑽と自己啓発の時間が必要です。 そこで私は「筋トレ」を開始します。 一度は挫折しサラリーマンの道から外れた私は、心の奥底には「弱さ」を抱えていました。己が弱いから、人生

    • 歴史家を夢見て、なぜかJ〇職員に、そして脱サラ、作家の道へ⑤

      皆さん、お疲れサマージャンボ。 作家の井川です。 前回の話の続きになります。 J〇バンクを退職した私は、晴れてフリーランスの道のりを歩み始めます。 普通、仕事を辞める時は、すでに転職先を見つけている、あるいは、転職活動をすることを前提に退職するのが一般的だと思います。 しかし、当時の私はどちらもすることなく、何も考えずに退職しました。たぶん、後先考えられない状況だったのでしょう。 当然、当面の収入の目途はありません。そこで、退職した翌日に向かった先は、市役所でした。 そう、

      • 歴史家を夢見て、なぜかJ〇職員に、そして脱サラ、作家の道へ④

        皆さん、お疲れサマンサタバサ。 作家の井川です。 前回の話の続きになります。 ふざけた職員の私ではありましたが、根は真面目な小心者。新人研修の時からもそうでしたが、組織特有の古い体質や、体育会系な風土、自爆上等なノルマなど、ブラックな要素は多々ありました。当時は病弱だった私は、徐々に精神と体調に変調をきたし始めていました。 当然、仕事に熱が入るわけでなく、仕事を覚えることを、いつしか能が拒否していました。当然、行き着く結果は「退職」という2文字でした。 当時はホリエのモン

        • 歴史家を夢見て、なぜかJ〇職員に、そして脱サラ、作家の道へ③

          みなさん、お疲れ様です。 作家の井川椋介です。 前回の話の続きになります。 1ヶ月の集合研修を終え、我々新人職員たちは、それそれの配属先へと旅立っていきます。研修の最終日には、これが今生の別れになるかもと涙を流し、酒を酌み交わし、大いに語り合いました。ちなみにその時の飲み会で、私はマジでお金がなかったので、全額同期に立て替えてもらいました。給料が出たら、倍にして返すと約束しましたが、退職した今でも1円も返していません。 名前も忘れた同期よ、いつか印税収入が入った日には、必ず

        歴史家を夢見て、なぜかJ〇職員に、そして脱サラ、作家の道へ⑥

          歴史家を夢見て、なぜかJ〇職員に、そして脱サラ、作家の道へ②

          みなさん、お疲れ様です。 作家の井川椋介です。 前回の話の続きになります。 大学を卒業した私は、サラリーマンとしてJ〇バンクに入組します。ちなみに、株式会社や有限会社なら「入社」と言うのが一般的ですが、コ〇プとかJ〇とかの協同組合なら「入組」、信用金庫なら「入庫」、銀行なら「入行」と、いろいろ言い方が違うらしいです。 もちろん、阿呆で世間知らずの私は、そんな違いも知りませんでした。 しかしながら、「入社」と「入組」の違いなど知らなくても、幸せな人生を歩んでいる人はごまんとい

          歴史家を夢見て、なぜかJ〇職員に、そして脱サラ、作家の道へ②

          歴史家を夢見て、なぜかJ〇職員に、そして脱サラ、作家の道へ①

          みなさん、お疲れ様です。 作家の井川椋介です。 お前なんか知らんぞという方が、ほとんどだと思いますが(おそらく10割)、こう見えて(いや、お前なんか見たこともない)小説家なんです。 ただ、出版経験(商業、自費ともに)はなく、依頼を受けて短編作品を何度か書かせていただいた程度のレベルです。後は新人賞に応募したり、ネットに投稿したりと、そんな生活を送っています。 そんなんで作家名乗って大丈夫?と、冷たい目を向けられた方もおられることでしょう。仰ることも重々承知、しかし1円でも報酬

          歴史家を夢見て、なぜかJ〇職員に、そして脱サラ、作家の道へ①