ヒップホップについて

高校生の時に、MCバトルにハマり、YouTubeでよくそんな動画を見ていた。浪人期ぐらいから、ラッパーの音源もよく聴くようになり、今でもそれは続いている。


ハマる以前は、ヒップホップというと何だか滑稽な印象があった様に思う。輪に入れずに、変に開き直って、群れている負け犬、バカ。

だけど、ヒップホップにハマるにつれて、その様な印象は少しずつ変わっていった。自分の信念に忠実な人たち、自分自身や、友達に対して、突き抜けた誠実さを持った人たち、そしてそれ故に、一般社会に適合できなかった人たち、そういうのが、本物のラッパーには多いのだと思う。

そしてまた、感受性の強さ、勘の良さ、というのも、ラッパーの一つの側面の様にも思う。もちろんこれについては、ラッパーだけに限らずミュージシャン全体に言える傾向だろうが。直感に賭け、音楽に乗り、自分の生き様をリズムに乗せて吐き出す、これがヒップホップのイズムなのだと、今は思う。


さて、ここまでヒップホップの精神的なことについて書いてきたが、ヒップホップの形式というのは、シンプルなものだ。

ビートと呼ばれる、リズムが強調された、周期的なバックグラウンドに合わせて、声を乗せる。要所でライム、すなわち韻を踏みながら、自身の信念や思想を表す、パンチラインを吐き出す。

そして、リズムに合わせた声の乗せ方は、フローと言われる。時折ラップをラップの原則的な乗せ方を逸脱した、メロディアスなフローが乗せられることもある。

つまり、ビートに合わせて、声を乗せること。韻を踏むこと。ラップの形式的な要素というのは、究極的にはこの2点に尽きるのだろう。


この形式での楽曲について、俺が受ける印象というのは、まずメロディがほとんどない分、感情豊かな音楽ではない、ということだ。低音からハスキーな高音まで、高音域にわたるようなポップスと比べて、エモみが少ない、というのだろうか。

感情を豊かに表現するというよりは、むしろ、お経の様に、この世の真実や実像をただ淡々と、リズムに乗せて語っている様な、そんな印象を受ける楽曲が多い。


そして、俺はヒップホップのこういうところが、向いていて、性に合っていて、それ故に好きで聴いているのだと思う。大きく揺れる感情よりも、それを支配する道理、真実、そういうものに、より興味がある。


最初に少し触れたが、ただ怠慢でレールから脱落しただけの人間が、ヒップホップを振りかざして、最初から自分は違う人間なのだ、という様なことを誇示しようとするのは、ワナビーでワックだと思う。

しかし、ヒップホップのヘッズ、というのは、そういう人間も多いんじゃあるまいか。

MCバトルにハマっていた高校生の時も、思い返せば当時抱えていた人間関係へのコンプレックスを、昇華するため(?)、あるいは正当化するために、ヒップホップに惹かれたのではないかとも思う。

それが仕方のない時期というのも、多くの人の人生においてはあるのかもしれないが、きっとそれは、本当のヒップホップではない、と思う。


本当のヒップホップとは何だろう。さっきも書いたが、ヒップホップの形式というのは。シンプルだ。


お気に入りのビートを選び、フローを乗せ、韻を踏みながら、パンチラインを吐き出す。

それは、すなわち、自分の人生の流れを、自分の土俵の上で存分に表現し、そこから問うたこと、考えられたことを、またライムとパンチラインという形で、格好を付けつつまた存分に表明する。


つまり、自分の今の生き様を知らしめよう、という試みなのではないかと、今は思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?