映画私の少女をみる

映画『私の少女』をみる。
ネタバレ注意です。

今回の作品は鑑賞後ずっとモヤモヤがのこる。

あらすじはエリート警察官の女性がソウルから漁村に所長として赴任することから事件がおこる。

物語は主人公の女性と、漁村で義父と義祖母から虐待をうける少女を中心にすすんでいく。

なんでこの作品をみてモヤモヤするかは、作品をとおして一般的な偏見やタブー視されている問題を扱っているから。同性愛、虐待、そして不法労働…。

そこに明確な答えがなく、みる者に疑問を投げかけたまま話が終わるからだとおもう。


前回みた映画『オアシス』では、脳性麻痺の女性に対してひとりの女性として性的に関心をもち強姦未遂までする主人公の男性。一方で、彼女のことを「かわいそうな娘」として扱い、ときに彼女を利用する周囲の大人たち。

その対比をもって、主人公の青年と周囲の大人たちと、どちらが彼女自身を直視しているのか?とみる者に訴えていて、それはかなり強烈な問いだし、物語として強い魅力をはなっていた。


今回みた『私の少女』は、同性愛者である主人公の女性が家族から虐待を受ける少女を自宅に保護する。

また少女はじぶんを暴力から守るために、そして慕っている主人公の所長を守るために嘘をつき、大人を騙し、ひとをも殺める。

映画の全体的な流れとしては、ある意味で勧善懲悪なんだけど、それでいいのか?というモヤモヤが残る結末で、結末の先のことを考えたらハッピーエンドになるはずがない。

『オアシス』もラストはふたり慕っていて、その姿はピュアすぎて、たぶんふたりの未来はかなり難しいのはわかるんだけど、なにかしら外部のサポートがあれば、というちいちゃな希望が感じられて、そこに観おえたあとのカタルシスはあった。

でも今回の私の少女にはそれが感じられない。

正直、一度みてあれこれ考えたけど、モヤモヤはスッキリせず、いまのところまたみようとも思わない。みる者を考えさせる、という策にかかってしまった気分。

あと、女性と少女との関係について、これが同性愛者の男性が少年を保護して、というエピソードだったら全体の印象は変わるだろうなとおもった。

















うちの子ノエルにちゅ〜るをあげます。