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なにもしない技術

何もやらないことは実は気持ちがいい。

この事に気づいた途端、何もやらないことが好きになった。


何もやらない気持ちよさ、心地よさを知るまでは、何もやらない時間は本当にもったいなく感じていた。

なにか、やりたい。スマホをみていたい。SNSの投稿をしたい。新着をチェックしたい。


1日は24時間。やりたいことができる時間は限られているから、とにかく余った時間は詰めこみたい。

できればあれもこれもしたい。

寝る時間も惜しんで遊びたい。

翌日後悔することになるけれど。。


 そんなふうに、やりたいことに追われているというか、とにかく満たされたい。楽しみたい。楽しんだら、もっと楽しいことをしたい。


そんな、延々とほしいほしいと叫んでいるような状態。あるいはカゴの中でひたすら走り続けているネズミのようなかんじ。


そんなあれもこれもほしい毎日の中で、なにもしない時間をつくる。

これはちょっと勇気がいる。



ためしにこれから三分間。スマホも本も雑誌もおいて、なにもしないを試してみよう。

といわれて、これけっこうハードル高くありませんか。

どうしていいかわからない。

なにをしたらいいのかわからない。

ものすごく落ち着かない。

なにかやってない、これって恐怖ですらある。


なにもしない居心地に悪さに、ちょっと耐えてみる。

ほんとはスマホみたい、プライムビデオみたい。

でもちょっとだけ、体の硬さとか、荒くなってる呼吸とか、いまの自分にとどまる。

なにもしないことは、思った以上に居心地が悪い。

でもそれに逆らうことなく、同化するというか、居心地の悪さにとどまっていると、ふと、ちょっとだけ気分がよくなる瞬間がある。


ちょっとだけ肩の力がぬけたところがあるとか。呼吸がすこし楽になる瞬間とか。ちょっと穏やかな気持ちになるとか。


そういった変化に注目して、変化のサインに気づいて、またしばらく、なにもしないとつづけてみる。


すると、だんだん、なにもしないことが、わりと気分がいい感じになる。


あたまがスッキリしたり、体の余分な力がぬけたり、呼吸が楽になったり。


この感覚。さっきまであれもこれもやりたいって頭の中パンパンになっていた状態から、ぽっかり隙間ができる感じ。


この感覚が、かなり快感。


ちょっとしたスキマ時間に、なにもしない練習をしてみる。最初は数分でじゅうぶん。

最初は意外と長く感じるけど、一度でもからっぽの体験をしさえすれば、それもなんとか耐えられる。


あとはひたすら待つだけ。

なんとなく何を考えているのか、体がどんな感じか、呼吸はどんなか、なんとなく意識を向けてあげる。


しばらくすれば、からっぽの爽快感が味わえる。


最近、この事に気づいて、なにをやるにしても、まずは手を止めることが習慣になった。


もちろんかわらず、スマホをみるし、メールもチェックするし、テレビもみる。


でも、一度あたまを空っぽにした状態からはじめると、漠然としたやりたいこと、楽しいことに追われてる感がほとんどなくなる。


もしまた、もっとみたいもっとほしいっていう焦燥感にかられても、また手を休めればいい。


そう、なにもやらない技術とは、ファミコンのリセットボタンのようなもの。もしくはスマホの再起動。


頭にこびりついた無用なキャッシュを一度リセットしてくれる。


なにもやらない、なにもしないことはお金も時間もかからない最高の娯楽だ。

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