シナリオに「んなあほな」と言ってしまう話

どうも、りょっとです。
唐突ですが、あなたは映画を見ていて、
「んなわけあるか!」
って突っ込んだこと、ありますか?

シナリオ制作において、作り手の都合に合わせてキャラクターを動かすのは良くないとされています。作り手の考えた話に沿って動かすのではなく、キャラクターが自身の感情の流れに沿って動くことで、自然なシナリオができるというわけですね。

そのセオリーを無視しまくって、自分の伝えたいことを登場人物に言わせたり、行動させたり、つまりは作り手のエゴが強くなってしまうと、先ほど述べたような「んなわけあるか!」「そんな展開あり得るかい!」という突っ込みを入れたくなるようなシナリオが出来てしまうわけです。ややもすれば、異様に押し付けがましい、説教臭い物語にもなってしまいかねないわけです。

今回は、そんな風に思わずつっこみを入れたくなるような映画に遭遇したときに、そこから何を汲み取ることができるか、という話をします。
実はそこには重要な意味が隠されている可能性があります。

当noteでは、脚本を勉強されてない方に向けて、映画やアニメのシナリオをもっと深く理解できるように、独自にその楽しみ方を解説していきます。
尚、作品のネタバレを含む場合がありますので、気になさる方はご注意ください。
[今回登場する作品]
JAWS
花束みたいな恋をした
ジョゼと虎と魚たち
僕のワンダフルライフ


で、この「んなわけあるか!」と言いたくなるシーンって、2パターンあると思います。

①唐突すぎて、或いは突飛な話すぎて、着いていけない…ってパターン

例を挙げるとしますと、
JAWSで島の人々がサメ退治に躍起になるシーン
とかでしょうか。

こんな名作に物申すのは正直、気が引けるのですが、あのシーンってどうですか?
人喰いザメにいくら莫大な懸賞金がかかったとして、あなたは果たして、サメ退治に行きますか?
僕は行きません。怖いし。やり方わからないし。
なんというか、まぁ、有り得なくはないですが、時代を考慮したとしても、あんなことって有り得ますかね?


……と初見では思いました。
ただ、このシーンのこの人々の行動にもやっぱり脚本上、というか、物語の構成上、重要な意味があるんですよ。

この場合だと、

島の人々が人喰いザメを軽く見ている

ということがこのシーンで表現されているわけです。
要は、ナメているわけですね、サメのことを。

それを多少オーバーに表現するとああいうシーンが生まれてもおかしくないわけです。
というかむしろ、

芸術において、伝えるためにはやり過ぎなくらいが丁度いい

なんてことはザラにあるわけです。
創作してみればわかります。
どれほど「言葉以外で人に伝える」のが難しいかということを。

話が逸れましたが、そんなシーンがあるからこそ、舟が破壊され、鮫のプロですら殺されて…というクライマックスで表されるサメに対する恐怖もより一層増してくるわけです。

②あまりにも偶然がすぎるやろ…ってパターン

実を言うと、こっちの方が今回の本題なんです。
と言いますのも、先日、上映中の映画「花束みたいな恋をした」を観に行きまして、その際にこの記事の内容に思い至ったわけですよ。
ひとつ、申し上げておきますと、映画については最高でした。
菅田将暉君、イケメンやなぁと思いながら見てました。
タイトルが、決して、果てしない「花畑」なんかではなく、「花束」というのもなんだか自分なりに腑に落ちました。
胸が苦しくなる映画でした。

…でしたが!
始まってしばらくは、「いやいや、その展開はいくらなんでも、偶然が過ぎまっせ!」という展開が、結構続くんですよ。

例えば、
・たまたま同じカフェに、元恋人同士が、現在の恋人を連れて来店している。
・たまたま主人公(麦くん)とヒロイン(絹ちゃん)が同じライブのチケットを取っていて、その上、たまたま二人とも行けなかった。
・たまたま麦くんも絹ちゃんもじゃんけんに対する全く同じ変な持論がある。
・たまたま麦くんも絹ちゃんもお互いのクリスマスプレゼントに同じものを選ぶ。
・昔よく来ていたファミレスで別れ話をしているときに、たまたま付き合い始めの自分たちと同じような会話をするカップルがやってきて、たまたま、自分たちがいつも座っていた席につく。
・たまたま……

と書いていて目の前が涙で見えなくなってきたので、この辺にしときますね。
なんせ、偶然が過ぎる展開が、随所に散りばめられているわけです。
序盤こそ興が削がれたような気分になったのですが、さすがに途中で「ん?これは、脚本家がわざとやっているな?」と気づくわけです。
もちろん、麦くんと絹ちゃんが、本当に似通った趣味や性格であることを表しているとも言えるのですが、それと同時に、偶然がこれだけ起きる展開そのものをもってして、何かを制作側は伝えようとしているとも取れると思うのです。

僕の稚拙な分析を少し話しますと、偶然=奇跡なわけです。恋というものはそれ自体が奇跡みたいなものなわけです。マッチングアプリなんてものも現代では登場していますが、それでも、世界中の全人類の中からふるいを掛けて、一番ふさわしい人をパートナーに選ぶ、なんてことは出来ません。それでも人と人は恋をするし、その先では結婚をしたり。一方で、そんなことができないからこそ、別れたりもする。そんなことを、現代を生きる我々に伝えようとしているのかな、なんてことを、僕は考えました。ましてや、この脚本があの30年前の名作「東京ラブストーリー」を手掛けた坂元裕二氏が書いたことを考えると、よりその説得力は増してきますよね。

他の作品の例でいうと、
・アニメ版「ジョゼと虎と魚たち」
クライマックスで、ジョゼが車椅子で坂道を転げ落ちた先に、たまたま恒夫がいて、受け止める。
・僕のワンダフルライフ
かつてつき合っていた恋人と、犬がきっかけで再会する。

あたりも、見ていて、確かにロマンチックとはいえ、「都合よすぎでは?」と思ったりもしました。

ただですね、そもそも、

あったら良いなっていうのを再現してこその物語

だとも思うのです。

ドラマみたいな恋愛、したいなって思うじゃないですか。
映画みたいな青春、送りたいなって思うじゃないですか。
タイムリープ、できたらいいなって思うじゃないですか。
四次元ポケット、欲しいなって思うじゃないですか。
ドラゴンボール、あったらいいなって思うじゃないですか。

はっきり言って、全部有り得ないんですよ。
でも、涙が出る。胸が震える。そういうことです。

観る側としても、ある程度、表現が大げさで都合がいいものだとしても(だからこそ)、

その伝えたい真意を汲み取ろうとする

ということが大事だと思います。(もちろん、作り手側が観客にそれを委ねて、妥協するのはよくありませんが。)
もちろん、自分なりの解釈で構いませんし、それが一番大事です。
ですが、作者は何が言いたいんだろう?どんなことを伝えようとしているんだろう?ということを考えるのも作品に深みが出て面白いものです。

よく分からないシーンに出会ったときには、ぜひそんなことを考えてみてください。



それでは、あなたの映画ライフが、より楽しくなりますように。

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