見出し画像

運ぶは文明の根幹かもしれない

『虫とゴリラ』という本を読んでいると、ヒトは食べ物を情報化したのが文明の始まりという面白いことが書いてあった。

採取してきた食べ物を仲間のいる場所に運んで分配をする。そのなかでも別の場所に「運ぶ」というのが特殊な行動で、チンパンジーやゴリラは食べ物を分配することはあっても運ぶことはしないらしい。

他のサルが運んできたものを食べるというのは、そのサルを「信用する」、食べ物を「信用する」ということで、それこそが「情報化」であると。ヒトが森を離れることができたのは食べ物を情報化できたからではないかと。

現代で考えるとスーパーでリンゴを買うというのは、リンゴ農家からトラックで近所まで運んでくれるお陰なのだ。どこどこ産だとか品種とかの情報も乗っかって。

身近な人との関係でいうとお隣さんが差し入れを運んでくることもあるし、旅行に行って買ったお土産をわざわざ運んで渡したりもするよね。お土産は「どこどこに旅行に行ってきました」という情報が上乗せされているかもしれない。

ネットで買い物をするというのも、ヒトのご先祖が食べ物を持ち寄って分配していた頃と何も変わらないのかもしれない。「歯ブラシ」や「本」や「ドライヤー」なんかの「情報」を信用して見て、家まで運んでもらうのだ。自分が遠くのものを手に入れる手段にインターネットというものを利用しているだけで、きっと他のサルが自分の知らない森から食べ物を持ってきて「ふーん」だとか思いながら口にしている頃と一緒なんだよね。結局全部「運ぶ」ということと、あと「信用する」ということがセットになっているからできることだ。

ネット社会になって、情報にすぐに集められるようになったことだとか、最近だとAIで簡単に情報を生成できることが注目される。
「運ぶ」という行動は当たり前すぎて気付かないけれど、文明の根幹そのものなのかもしれないね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?