岩橋亮汰

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岩橋亮汰

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最近の記事

「働く」の時間論⑧ 人生のエゴイズム

前回はこちら 「働く」という時間には、「他者のため」、「自分のため」という二つの時間が流れている。 この二つのうち、前提にあるのは、まず自分が食べて生きていくため、「自分のため」である。また「働く」ことを享受して幸せに生きている。レヴィナスはこのことを恐れず「人生のエゴイズム」と呼んでいる。人間はまず自分自身が生きることをしなければならない。それが第一である。ここでいうエゴイズムというのは、他者を踏みつけにすることではない。自分の人生を幸福に生きる、そのことである。 し

    • 本物のポップとは

      サカナクションのボーカル山口一郎が、以前ユーミンから言われたという言葉を覚えている。「本物のポップミュージックは5年後に売れる」というものだ。 すぐにでも100年後でもない、5年後という絶妙な未来。目の前の人に理解してもらえなくてもいいのだ。ポイントはそれが「ポップ」だということだ。 自分の中の周りを先取りする「ポップ」な部分、あるのかなぁ。

      • 運命とは美しい偶然である。

        noteを書き始めて1ヶ月が経ちました。 何とか毎日更新を続けられています。 今日はなかなか書く時間がとれなかったので、 名言を紹介して終わりにします。 まあ僕が考えた言葉なんですけどね。 運命って本当にあるのか?と言われるとわかんないですけど、 心が動くような偶然が重なると運命だと感じるんじゃないですかね。 生き別れた双子の兄妹が、20年後に同じアパートで隣同士の部屋に住む、みたいなね。 noteは可能な限り書き続けていこうと思います。

        • 「働く」の時間論⑦ 他者のために、自分のために

          前回はこちら 何のために働くのか。まず自分が生きるために、自分のために働く。それがまず前提である。では、何のために、自分のために働いているのだろうか。それはレヴィナスになぞらえて答えると、他者のために、自分のために働く、となる。 自分はまず食べるために働かなくてはならない。そのことを通して自分のために生きている。だが、同時に働くことを通して他者のために贈与できるものを生産している。自分のために働くことが、他者のために働くことにつながっている。 「働く」という時間は、「他者

        「働く」の時間論⑧ 人生のエゴイズム

          「働く」の時間論⑥ 誰のために働くのか

          前回はこちら 大学時代、周りが就職活動をしている時期に「なんのために働くのだろう」と疑問に思っていた。今思えば、自分が就職活動をしないことへの言い訳のために考えていたのだろう。何人かの友達に「なんのために働くのか」と聞いた。そのうちの一人が「食べるためだよ」と言ったことを覚えている。 当時は「食べるために働くなんてよく言うなあ」と思っていた。新卒採用の就職活動では志望動機を書かなければならない。皆、それらしいことをひねり出して書いていた。どんな仕事が自分に向いているのか、

          「働く」の時間論⑥ 誰のために働くのか

          モネ展へ行ってきました

          「働く」の時間論という連載を書いている途中ですが、 今日、大阪で開催中のモネの特別展へ行ってきたのでそのお話を。 モネは印象派の画家で、日本ではとても人気があることは知っていました。 本物を間近で観れるチャンス!ということで行ったのですが、 見事に魅力にはまりました。 自分の美術館の楽しみ方として、何かひとつ好きな作品を見つけたら 集中的にじっくり鑑賞します。 近くに寄ったり遠くに離れたりしながら。 それでどんなところが気になったのか自分の心に探りを入れます。 今回気に

          モネ展へ行ってきました

          「働く」の時間論⑤ DXとは何か

          前回はこちら 現代は果てしない成長を要求される社会である。次から次へと新しいビジョンを描きながら常に高い次元を追い求め続ける。 この問題は「脱成長」というキーワードで最近注目されているものである。資本主義そのものを見直そうという活動も、もう何年も前からある。社会の方向性そのものがおかしいので根っこから考え直し、次の新しい社会のモデルを見つけようとしている時期なのだ。 さて、「働く」の時間論①でも書いたように、自分は普段、事務用品を販売する会社で営業をしている。顧客の課題を

          「働く」の時間論⑤ DXとは何か

          「働く」の時間論④ ビジョンと資本主義

          前回はこちら ビジネスのなかで未来の理想として描かれるビジョンという概念は、哲学からきた考え方ではないか、ということを前回書いた。 ビジョンは新しい事業を始めるとき、「社会をどう変えたいのか」と必ずといっていいほど説明が要求されるものである。 さらにビジョンは組織やチームで思い描くものだけでなく、個人単位でもキャリアビジョンというかたちで求められるものになっている。仕事を通してどんな人物になりたいか、理想の「ありたい姿」を想像することは、新卒採用や転職の際にも必ず質問され

          「働く」の時間論④ ビジョンと資本主義

          「働く」の時間論③ ビジョンは哲学由来の考え方

          前回はこちら 組織やチームで事業をしていると、どんな社会を実現したいのか、ビジョンを描くことが求められる。ではビジョンを実現するために「働く」時間はどのようにとらえればいいのだろうか。 ここで立ち止まって「ビジョン」についてもう少し考えてみたい。 ビジョンとは前回書いたように目標を達成したときに見える景色のことである。なので未来という時間軸に置かれた理想の像ということになる。 現在にはない理想の姿、もっと広くいうと「世界」が存在するという考え方、これはプラトンから始まる

          「働く」の時間論③ ビジョンは哲学由来の考え方

          「働く」の時間論② ビジョンと時間

          前回はこちら 「オードリーのオールナイトニッポン」で、毎年、恒例のように語られる話題がある。 「今年の目標はなんですか、てうるせーよな」 新年になると、若林と春日は番組で受けるこの質問を取り上げて、「今年の目標なんかないよ」といじっている。リトルトゥースの自分はこの会話を聞くと、あーまた1年が始まったんだなと感じる。 仕事をしていれば、「目標をもて」と言われる。仕事のうえで達成したいこと、キャリアとしての「ありたい姿」。目標は現在の自分からもうひとつ上のレベルに達するため

          「働く」の時間論② ビジョンと時間

          「働く」の時間論①

          DX化という言葉がここ数年のトレンドになっています。停滞した日本経済を活気づいたものにするためには、ビジネスモデルをデジタルで転換していかなくてはならない、というのがざっくりとした論調です。 DXのためには、まず今の仕事を変えていかなくてはいけない。例えば手書きをしているものをパソコンに入力するとか。どこでも仕事ができるようにパソコンを持ち運びできるようにするとか。DX、デジタルトランスフォーメーションというと、なにかとてもすごいことをのような感じもしますが、前提にあるのは業

          「働く」の時間論①

          名付け

          8月に2人目の子どもが生まれる予定なので、 名付けをどうするかずっとぼんやりと考えていた。 自分のなかではどんな名前にしたいか、イメージはぼんやりとあったんだけれど、なかなか決まらなくて奥さんにずっと催促されていた。 名前を考え始めてからようやく気づいたことなんだけれど、 どんな人の名前も何かしら気持ちを込めて名付けられたんだよなー。 仕事をしているときも「あ、こんな名前の人がいるんだ」と 前よりもずっと意識をして見ていた。 1億人いたら、1億人の名付け親がいるんだ。それが

          解像度と言語ゲーム

          「解像度が高い」という言葉を最近よく目にするようになった。意見のレベルが高いとか、物事を見る目が深いときに言われるらしい。 解像度というのはもともとパソコンで画像をさわるときに使う言葉だったと思う。それがいつの間にか画像の粗さだけじゃなくて何か意見を言ったり分析したりするときにも使うようになっていた。 これねえ、もともとの意味だと画像そのものの解像度を意味していたけど、今は物事を判断する「人」が中心の使われ方でもあるよねー。解像度がたかったり低かったりするのは今は人の方なんだ

          解像度と言語ゲーム

          安土ロイド

          「安土ロイド」は織田信長が安土城の地下で秘密裏に作っていた人造人間である。というのはもちろん嘘だけれど、昔のメモを読み返していたら書いていたのでタイトルにしてみた。 ほぼ日イトイ新聞で連載している、ピラミッドの研究者である河江肖剰さんと糸井重里さんの対談記事を面白く読んでいる。あんな有名な建造物なのにわかってないことっていっぱいあるんですね。 対談のなかで「ピラミッドは宇宙人が作ったという都市伝説はあるのに、大阪城にはそんな噂がない」とそんな話をちょっとだけしていて「そうい

          安土ロイド

          辺境文学

          大学時代に内田樹の『日本辺境論』という本を読んで妙に納得した。そうか日本は辺境だったんだ。文字は中国から伝わってきたし、明治以降はフランスやドイツのヨーロッパにいろいろ学んで追いつけ追い越せだったわけだよね。ずっと世界の中心から外れたところにいたんだ。日本は。今だって「海外だとこうなのになんで日本は・・・」みたいな言い方を耳にすることがある。それもまあ、意識はしていないけど辺境だからじゃないかな。逆に「日本が世界の中心です!」と言い始めるときは気をつけた方がいい。八紘一宇とか

          今日も最高の1日だったな

          息子がよく「今日も最高の1日だったな」と言う。 キャンプに行ってたんまり遊んだあとだとか、水族館で好きなサメを眺めたあとに言うのならわかるけど、休みに一緒にお買い物に行って夜中に一緒に遊んだだけのときに言うんだからすごい。 「最高の1日」だったと感じること、たしかにどんどん減っているかもなー。大人になれば考えることが増えていくもん。日曜日にUSJに行ったって次の日には仕事が待っているし、物価高だし、将来のための貯蓄のことだってある。知識が増えればふえるほど、「考えなくちゃい

          今日も最高の1日だったな